第百三十九章 バンクス 4.再びボルトン工房
「いやぁ……クロウさん、あんたってお人は魔法使いか何かかい?」
クロウがハーコート卿たち――ハーコート卿とパートリッジ卿、そしてルパの三人――を連れてボルトン工房へ赴き、ハーコート卿の持つスケッチを元に「災厄の岩窟」の風景画を――多少の想像を交えて――描き上げるという話をした時のボルトン親方の台詞である。
結局、スケッチを元に数枚の原画をクロウが描いて、ハーコート卿にはお気に召したものを一点差し上げる事になった。ボルトン親方の方は、残りの中から適当なものを選んで、印刷に回す事になる。とは言うものの……
「岩山のスケッチだけだと、画面が淋しいですね。テオドラムかマーカスの兵士か何かを描き加えたいところですが……参考にできる資料とかはありますか?」
「災厄の岩窟」内に潜入した兵士の画像なら、ダンジョンコアであるケルが記録に残している。とは言え、まさかそれを下絵として描く訳にはいかない。クロウはテオドラムにもマーカスにも行った事が無い……という事に表向きはなっているのだ。
「おう。そんならあるぜ。マーカスの兵士を描いたやつだ」
兵士の資料が無いなら無いで、適当な冒険者でも描いてお茶を濁すつもりのクロウであったが、ボルトン親方はマーカス兵の資料があると言う。
「何でまた、そんな資料があるんですか?」
「数年前にマーカスの国王が閲兵式をやったのよ」
軍事パレードと軍事演習を兼ねたようなものであるらしい。地球世界でなら年中行事扱いだろうが、こちらの世界では数年に一回、場合によっては国王の在世中に一回程度のものらしい。それだけに、閲兵式となると一大イベントで、ボルトン工房でも関連する版画などを色々と摺ったそうだ。
ともあれ、クロウはその版画を見て使えそうだと判断し、工房の一室を借りて作画作業に入る事にした。
「災厄の岩窟」の参考資料はハーコート卿のもたらしたスケッチ一枚……という事になってはいるが、実際には「岩窟」はクロウ配下のダンジョンである。外形寸法などは誰より詳細に解っているので、描く事自体には然したる苦労は無い。寧ろ、ああでもないこうでもないと、効果的な構図を決める事の方に時間を取られていた。
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クロウが作画作業に取りかかってから十一日目、一仕事終えたような顔付きで作業室から出てきたクロウを見て、職人のミケルが声を掛ける。
「クロウさん……ひょっとして?」
「えぇ、何とか終わりました。親方とハーコート卿を呼んでもらえますか?」
「わ、解りました!」
使いをパートリッジ邸――ハーコート卿はクロウの原画が仕上がるまでパートリッジ邸に逗留する事になった――とルパの屋敷に走らせた時に、ボルトン親方にも伝えたのだろう。真っ先にクロウのところへやって来たのだが、律儀に他の三人が来るのを待っている。
親方じりじりと待ち焦がれていたが、やがてルパが飛び込んで来て、その後少ししてハーコート卿とパートリッジ卿が到着の運びとなった。いよいよ原画のお披露目である。
「う~む……」
腕を組んで六枚の原画を眺め回し、見比べ、溜息を吐く事既に三十分。気に入ったものを一点進呈という条件を呑んだハーコート卿は、その一点を選ぶのに呻吟していた。
クロウが描いた原画は六点であるが、構図としては三種類である。すなわち、「災厄の岩窟」の全景を描いた遠景の構図が一点、「岩窟」を背景に立つマーカス兵を描いた近景の構図が二点、そして、中距離から描いたマーカス兵の背後に覆い被さるような感じで「岩窟」を描いた構図が三点である。殊に最後の三点は、構図としては「岩窟」を見上げるような形になるが、構図だけでなく光の条件を変えて描いてあり、一点などは逆光の条件で描いてあった。ダンジョンマスターであるとは言え、よくもこれだけの構図を脳内でシミュレートできたものだ。
さて、悩めるハーコート卿の方であるが、どうやら中距離の三点と遠距離の一点までは絞り込んだようだが、そこから一つを選ぶのに難儀しているらしい。画面の迫力という意味では中距離の三点に軍配が上がるが、「災厄の岩窟」の全景を捉えた一点にも未練があるらしい。
「あの……ハーコート卿? ボルトン親方がどれを選ぶかは判りませんが、刷り上がった版画は一式をお譲り下さると思いますよ?」
クロウがそう言った途端にハーコート卿の顔が跳ね上がり、ボルトン親方の方を向いた。
「え? そりゃ、当然……っつうか、クロウさんよ、こりゃ、ハーコート閣下がお選びになった一点も印刷させてもらいてぇんだが……」
「それはハーコート卿に相談して戴かないと……」
「六点の版画を一枚……いや、三枚ずつもらえるのなら構わない」
「えぇ、そんくれぇならお安いご用で……」
「で? パットよ、どれを貰うかは決まったのか?」
更に二十分ほどの懊悩の挙げ句、中距離の一点をハーコート卿が選び、親方が六点の原画全部の銅版を作製したところでこの日は終わった。
後日売り出された六点の版画は、親方の予想どおりの、いや、予想以上の評判をとった。
その反響がどういう形で返ってくるのか、クロウがそれを知るにはもう少しの時間が必要であった。




