第百三十九章 バンクス 1.ボルトン工房
新年祭が終わって三日目、クロウはルパの尻を叩いて、描くべき標本の残り三点を準備させた。
その五日後、クロウは原画を仕上げてルパに提出すると、作業計画の打ち合わせを兼ねて、久しぶりにボルトン工房へと足を向けた。
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「クロウさんはテオドラムとかマーカスに行ったりはしねぇのかい?」
互いに久闊を叙した後、打ち合わせ方々近況など報告していたクロウは、唐突にボルトン親方からそんな話を振られて、思わず動きを止めた。
「……なぜです?」
「なぜってなぁ……」
心中密かに警戒するクロウに、無邪気な様子で頭を掻きつつ親方が語ったのは、各方面で悪名高き、彼の「災厄の岩窟」の事であった。
「……で、大変な騒ぎになったから、ダンジョンができた事ぁ知ってても、それがどんなもんかはみんな知らねぇのよ。何でも、一夜にして生えた岩山だってぇから、一体どんなもんかと思ってな」
「本音はそれをネタにした版画を作って、売り捌こうという魂胆なんですよ」
工房職員のミケルが身も蓋も無い説明を付け加える。
その説明を聞いて、内心でほっと警戒を緩めるクロウ。
「……その話は聞きましたけどね、そんなに危険な場所にのこのこ出向くほど無鉄砲じゃありませんよ。見つかったら、良くて拘束、下手をしたらその場でお陀仏じゃないですか。頼まれたって行く気は無いです」
真面目な顔でしゃあしゃあと言ってのけるクロウ。尤も、現場に顔を出したくない、そんな危険は冒したくないというのは、偽りの無い本心である。
「やっぱりかぁ……」
「ほら、ご覧なさい。真っ当な神経をしてれば、紛争まっただ中のダンジョンに行こうなんて考えませんよ」
「いや……良い案だと思ったんだがなぁ……」
「そんなに興味を抱く人が多いんですか?」
思わず二人に問いかけるクロウ。厄病神と誹られているであろう「災厄の岩窟」が、そこまで興味の対象となっているとは思わなかったのである。
「まぁ、それは確かに親方の言うとおりなんです」
「ウチにも結構問い合わせがあんのよ」
何でまた印刷工房に問い合わせが、と、内心で首を傾げたクロウであったが、名所旧跡の情報を握っている部署が他に無いらしい事に思い当たる。
それはともかく、「災厄の岩窟」への関心が高まる事は、自分たちにとっても悪くないんじゃないか、とクロウは気付く。マーカスだけでなく各国の民衆が「災厄の岩窟」を注視しているとなれば、テオドラムもそうそう無茶はできないだろう。遊山気分の観光客が環視におよんでいればなお好いのだが、さすがにそこまでは期待できまい。だが、関心を高めるのは悪い事じゃない……。
はてさて、絵師クロウとしては、親方の申し出にどう反応すべきだろうか。
「そう言われると……興味が湧かない訳ではありませんが、やっぱり危険は冒したくないですね」
「やっぱりかぁ……」
「何か簡単なスケッチでもあれば、それを元にして、いかにもな構図をでっち上げる事はできるかもしれませんけど……」
「そんな都合の好いもんが、そうそう手に入る訳が無ぇよなぁ……」




