第百三十七章 新年祭~四日目~ 1.マナダミア
イラストリア王国の東の隣国マナステラ、その王都マナダミアの一角――正確には二ヵ所――に、例年に無い程の人集りがしていた。言うまでもなく、亜人の主宰による喫茶店と酒場が、マナステラ王国に初めてお目見えしたせいである。
既に五月祭での一件は、このマナステラでも話題になっている。それどころか、マナステラ在住のドワーフたち――金属資源の豊富なマナステラには、イラストリアに比して多くのドワーフが居住している――がビールの一件を聞きつけ、なぜにマナステラで店を開いてくれぬのかと血涙を流さんばかりの嘆願を、連絡会議宛に寄越したのである。
ビールが飲めぬというならマナステラなぞに未練は無いとばかりに、一族挙げての移住すら考え始めたドワーフたちの蠢動を、さすがにマナステラ王国としても放置はできず、非公式かつ極秘のルートで亜人連絡会議に嘆願を寄せたというのは、クロウも報されていない――面倒な事は報告するなと釘を刺していたので――事実である。
そこまで詳しい事情は知らぬにしても、亜人たちの革新的な出店の事は、マナステラ国民の耳にも届いている。それが今年の新年祭では自国の町にもやって来るというので、暮れのうちから話題になっていたのである。
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「しかし……かれこれ三日目だというのに、人集りは全然収まる気配が無いな」
テーブルの一つに陣取って温かい飲み物――どうやらホットワインらしい――を飲んでいた若い男が、連れの男に話しかける。
「当たり前だろう。もう三日目とお前は言うが、新年祭が終わったら、次はいつやって来るのか判らんのだぞ? 上手くいっても五月祭までお預けなんだ。今日を含めて二日しか買える機会が無いとなれば、客が殺到せん訳が無かろうが」
ホットエールらしきものを味わっていた男が、コップから顔を上げて答える。以前にも温めたエールを飲んだ事はあるが、これは全く別物だ。何かの香料で複雑な香りを付け、微かに甘さを感じる。既にこのエールで三杯目。次に飲めるのがいつになるか判らない分、今のうちに飲み貯めしておこうというのは、男の偽らざる本心であった。
男たちは亜人ではなく人族であったが、それでもここのホットドリンクは美味いと感じていた。況や……
「……ドワーフの連中、根が生えたみたいだな……」
「いや、アレでも相当に自粛してるんだ。毎日三時間ほど粘ったら、腰を上げて退席しているらしい」
「へぇ……酒の亡者どもにしちゃ珍しいな。てっきり買い占めるのかと思ってた」
「なんでも、『新しい酒を自分たちだけで独占するような事は、酒飲みの仁義に悖る』んだそうだ。仁義と欲望の兼ね合いで出てきたのが、三時間という数字らしい」
「やつらとしちゃ、それでも身を切られるような思いなんだろうな……」
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ドワーフたちが酒場に錨を下ろしていた頃、喫茶店の前にはまた別の集団が屯していた。左党ならぬ砂糖に魅せられた者たちである。現代日本なら彼らの事を甘党と呼ぶだろうが、甘味の乏しいこの国では、滅多に味わえない甘味に群がるのは当然の事であり、彼らを特別視する呼称は存在しなかった。ただし、呼び名があろうとなかろうと、彼らが喫茶店の前に群がっているのは隠れもない事実であった。
「店長! 黒砂糖に続いて、『ダガシ』も売り切れました!」
「『ゼンザイ』は、あとどれくらい保つ?」
「残りは多くありません。多分、今日中に終わるんじゃないかと……」
「なんて事だ……完全に需要を読み違えた……」
「さすがにマナステラの王都だけありますね」
「明日まで保ちそうなものは何がある?」
「ドリンク類は多分大丈夫です。綿菓子も。他にはと言うと、グリルドフルーツですね。幸い、香木の樹皮は多めに持って来ましたから」
焼いた果実。要するに、焼き蜜柑や焼き林檎の類である。果物を加熱するだけという簡単な調理法でありながら、なぜかこの大陸では知られていない料理でもあった。冬場に手に入る果実の種類は多くなかったが、クロウからの教示を受けた亜人たちがそれらを逐一テストして、グリルドフルーツに適した種類と調理法を調べ上げていたのである。
一口に焼くと言っても、焼き蜜柑のように皮のままを焼くものもあれば、焼き林檎のようにシナモンを加えて焼き上げるものもある。果実の種類と火力によって、焼き上げる時間も様々に変わる。材料の果物を追加で仕入れる事ができるのは助かるが、最適な焼き方と焼き加減で調理するのには相応の時間がかかる。明日、全ての客がグリルドフルーツに殺到するような事になれば、全ての客を捌ききれるかどうか自信は無かった。
「最悪の場合は、品切れを理由に店を閉めても良いとの許可は得ているが……」
「お客さんたち、がっかりしますね」
「ドリンクと綿菓子、グリルドフルーツだけで、やれるところまでやってみませんか?」
「待ってくれ……精霊術師様に戴いた『マニュアル』に、何か載っていないか……」
藁をも掴む思いでマニュアルのページを繰っていた店長の手が止まる。
「店長……?」
「……あった……これなら……何とかなるかもしれん……」
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翌日、すなわち新年祭の楽日、マナダミアの喫茶店では、品切れとなった駄菓子や善哉に代わって幾つかの菓子類がお目見えして好評を博していた。
万一に備えてクロウがマニュアルに載せていた、簡単に手作りできる甘味類……砂糖を煮詰めて型に入れ冷やし固める鼈甲飴、砂糖とラードを加熱して混ぜ合わせ固めたトフィーもどき、それに小麦粉を加えて焼いたちんすこう、そしてサツマイモに糖蜜を絡めて作る大学芋。
これらのレシピがギリギリで急場を救ったのである。
ラードはこの世界の代表的な油脂であり、近場の店で買う事ができた。サツマイモは万一の事態の備えとして、クロウがオドラント産のものを持たせていた。これは、シュレクのダンジョン村の食糧事情改善のために地球から持ち込んだ品種であるが、後日探してみたところ同様の芋を見つける事ができていた。この世界のものはどちらかというと原種に近く、甘味もさほど強くはなかったが、そこは砂糖のせいだとか品種の違いだとか、白を切るしかない。
ともあれ、マナステラ王国初となる亜人主宰の喫茶店は、ここマナダミアでは好評のうちにどうにか終わるのであった。
トフィー(またはタフィー)は本来、無塩バターと砂糖を使って作ります。ラードで作った場合の出来については確認していませんが、この世界では甘味自体が貴重なため受け容れられたという事で。




