挿 話 とある三文作家と忘年会(その2)
「いや~、やるね、君。あの草間女史が撃退されるところを初めて見たよ」
「黒烏先生でしたっけ。見事なお手並みでしたよ」
先に声をかけてきた方が斎庚之介。時代物の本格推理という希有なジャンルで名を成した大先輩だ。参勤交代とアリバイトリックを絡めた作品は大評判になり、俺も感心して読んだ憶えがある。
後から敬語で声をかけてきた方が革堂多貸。確か俺よりも年長の筈だが、敬語で話すのは普段から誰に対してもらしい。尤も、さっき耳にした噂話によると、平等なのは言葉遣いだけではないようだ。誰に対しても平気で軽い悪戯を仕掛けるという話だった。そのせいで、革堂ではなく狡童――狡賢い悪童――だろうと言われる事もあるらしい。さっき紹介された時には、意外にもファンタジックな少女物が得意だと聞いて驚いた。
「斎先生に革堂先生。見てらしたんなら助けて下さいよ」
「いやいや、彼女は僕たちの手には負えないからね」
「あんなに見事にあしらったのは、黒烏先生くらいですよ」
「新人作家を酔い潰して『腐』教に励むのは、彼女の年中行事のようなものだから」
「『腐』教って……俺にBLでも書かせようとしてたんですか? 彼女は」
「そこまでいかなくても、彼女の同類が喜びそうな展開とかキャラを出させようとしたりね」
「ちょっ! 編集部はそれを黙認してるんですか!?」
「度を踏み外したりしなければ、読者獲得の一技法だと言われれば反論しづらいからねぇ」
……大丈夫なのか? ここの編集部。
「作品に反映されなくても、同好の士を得る機会でもありますし」
冗談じゃねぇ!
「彼女の場合は格付けに利用してる部分もあるねぇ。作家に対して強く出るための」
自分に対して苦手意識を持たせようってか? 何気に食えないな、彼女。
そんなこんなで一頻り女史の話題で盛り上がっていると、後から肩を叩かれた。
「やぁ、黒烏先生。うちの草間を軽やかに撃退したそうじゃないですか。すっかり評判になってますよ」
「……どんな評判なのかは聞かない方が良さそうですね。申し訳ありませんでした、剣持編集長」
「いやいや、彼女も悪い人間じゃないんだが、少しだけ趣味に熱心なところがありましてね……その何分の一かでも仕事に向けてくれると助かるんですが」
「ははは……」
……どう答えるのが正解なんだろう……
「ま、あまり悪く思わんでやって下さい。それより、草間から聞きましたが、先生は将棋もやられるとか?」
「え? まぁ、並べる程度には」
「そりゃ好かった。いや、実は私も好きでしてね。下手の横好きという奴ですが。社内には同好の士がいなくて寂しい思いをしてたんですよ。一つどうですか?」
編集長からそう言われて、駆け出し作家の俺に断れる筈が無い。救いを求めて先輩たちの姿を探すと、彼らは既に俺から距離を取っている。……置き去りですか、先輩方。
「折り畳み式の安物ですが将棋盤はありましてね、さ、さ」
編集長が鞄から道具一式を取り出した時、俺は卒然と理解した。この編集長、草間女史とは違う意味で面倒なんだと。
聞けば編集長はアマチュア三段の段位持ちだというから強いんだろう。俺の方は子供の頃に、祖父ちゃんの友達だという元真剣師の爺さんから教わった程度の縁台将棋だ。奇襲急襲の乱戦に持ち込まないと、本格将棋の三段が相手では勝負にならないだろう……。
(「おい……あの新人、大した強心臓だな」)
(「編集長相手に四連勝……それも、ハメ手すれすれの奇襲技かぁ……」)
(「初回に決めたの『一間飛車』ってやつですよね? 編集長、見事に引っ掛かったけど」)
(「草間女史をあしらった手際の良さといい、楽しみなのが入ってきたなぁ」)
(「革堂さんも彼を気に入ったみたいですよ」)
(「彼が? 珍しいな……という事は、あの新人クンも曲者なのかな?」)
(「それは間違いないでしょう。けど、僕の担当者に聞いたら、割と礼儀正しくて話題も豊富なようですよ」)
(「あ……五連勝目……編集長も頑張ったんだけどなあ……」)
(「一手違いかな? 接戦だった」)
(「二枚馬と二枚龍の争いになったからなぁ……あ、またやるみたいだ」)
(「剣持さんも意地になってるね」)
(「……次はどっちが勝つと思う?」)
(「う~ん……そろそろ編集長が巻き返すんじゃない?」)
(「判らんぞ? 編集長、すっかり熱くなってるし」)
(「黒烏君もまだまだ底を見せていない感じだしねぇ……」)
(「賭けますか?」)
・・・・・・・・
この日の忘年会は例年になく長引いた。
いつの間にかメーンイベントとなった剣持編集長 対 駆け出し作家黒烏の熱戦が続いており、観客も誰一人として席を立とうとしなかったためである。対戦自体は八回戦までもつれ込み、最終戦で編集長が黒烏を破ったのを機にお開きとなった。
時刻は午前四時二十分。
連戦の後で大勢の先輩作家たちに囲まれ、乾杯に付き合わされて消耗しきった黒烏先生が、金輪際忘年会には近付くものかと決意した日の事である。
くどいようですがこの物語はフィクションであり、実在の作家および編集者、出版社とは全く無関係です。




