挿 話 とある三文作家と忘年会(その1)
挿話だというのに思いの外長くなったので二回に分けます。
「今年も忘年会の季節がやって来たか……ま、今年も欠席だな」
黒烏のペンネームを持つラノベ作家烏丸良志は、ある出来事がきっかけで、忘年会には参加しない事にしている。その原因となった出来事……というか、彼が初めて担当編集者である草間女史から出版社の忘年会に誘われたのは、今を去る事ウン年――と言うほど昔ではないのだが――の事であった。その時の忘年会で懲りて以来、黒烏先生、会と名が付くもの、わけても草間女史の誘いには極力乗らない事にしている。
彼言うところの「個人史上最悪の忘年会」は、ごく当たり前の挨拶から始まった。
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「……とまぁ、そういった話はここまでにして、ひとつ今夜は皆さん、一年間の垢を落とすつもりで大いに飲んで、食べて、楽しんで下さい」
社長の挨拶が終わって――あまり冗長でなかったあたり、経営者としては優秀なのだろう。空気を読むのは重要な能力だ――型通りの乾杯を済ませると、参加者は思い思いに祝杯を挙げて談笑している。そんな会場の片隅で、駆け出し作家の黒烏こと俺、烏丸良志は、人目を避けて所謂出版業界の忘年会というものを覗き見している訳だ。
ウェブサイトで素人小説を発表してはいたものの、この手の業界とは全く付き合いが無かったので、どんな乱痴気騒ぎが見られるのかと興味津々で誘いに乗ったんだが、ごく当たり前のサラリーマンの忘年会……のように見える。いや、普通のサラリーマンの忘年会を知ってる訳じゃないけどね。
「黒烏先生~ 楽しまれてますか~」
少しだけ力の抜けるような声で話しかけてきたのは俺の担当編集者、草間女史だ。一見ホンワカした女性だが、これでも津田塾出身の才媛らしい。俺より学歴高い相手から先生呼ばわりされると、小市民の俺はどうも落ち着かない。
「お陰様で、楽しませて戴いてます」
嘘じゃぁない。こっそり聞き耳を立てていると、裏話的なアレコレが色々と聞こえてくる。それが結構楽しく、かつ、ためになっている。……中で一番重要な情報は、俺の担当である草間女史に関するものだったりする。最近になって気が付いたんだが、この編集者、どうも結構曲者らしい。
一例を挙げるなら……そう、女性の年齢は判りにくいと言うが、この編集者は特にその傾向が強い。衣服やメイクが日によってコロコロと変わる。当人に言わせると、TPOに合わせた衣裳化粧は社会人としての基本なのだそうだが……実は趣味に合わせているだけじゃないかと、俺は密かに疑っている。
というのも、一度喫茶店で打ち合わせという事になって――正直気は進まなかったんだが――待ち合わせの場所に出向くと、今まで見た事も無いようなお嬢様風のファッションに身を包んだ草間女史が現れたのだ。一瞬誰か判らなかったよ。だがまぁ、そこまではまだ良かった。
宜しくなかったのはその後で、案内されたのが所謂執事喫茶。「お帰りなさいませ、お嬢様」のかけ声に優雅に頷くと、彼女は迷いのない足取りで店内に入っていった。今更トンズラを決め込む訳にも行かないし、一瞬の逡巡の後に俺も彼女の後を追った。店内は何と言う事もない上品な造りだったが……執事風の衣裳に身を固めた男性が礼儀正しく注文を取りに来たあたりから、言いようの無い決まり悪さを感じたものだ。大体、執事は茶器を盆に載せて運んだりはしないだろう。そういうのは「召使い」の仕事の筈だ。
ともあれ、その時の店内の様子に草間女史の服装が見事なほどマッチしていた事から、この担当者、自分の趣味で訪れる場所に合わせて衣服を決めているんじゃないかとの疑念が湧いた。今ではそれは確信に育っている。
単に衣服を変えるだけが趣味というなら、俺としてもとやかく言うつもりは無い。他人に迷惑をかけないなら、趣味の範疇で構わない。その趣味が、噂話にあるように多少「腐って」いようと、俺にまで――俺の小説にまで――自分の好みを押し付けさえしなければ、だけどな。
そんな彼女がなぜ俺を忘年会に誘ったのか。もう少し疑うべきだった。
「あ、先生のグラス、全然減ってないじゃないですか~。駄目ですよ~。こういう席じゃ注がれたお酒は空けるのがマナーなんですから~」
そう言うと女史は、持っていた酒を俺のグラスに注ごうとする。
「ちょっとっ! それ、ウォッカじゃないですか!? ビールに混ぜたりしないでくださいよ! ……あぁ、もう」
やむなくビールを空けると、空になったグラスにウォッカを受ける。
「じゃぁ、ご返杯」
「あ、いえ~、私はうっかりグラスを持って来なかったんですよ~。てへ♪」
「大丈夫、丁度ここに空きグラスがありますから」
そう言ってやると、女史は一瞬身を固くした。予想外という表情だ。……って事は、やっぱり確信犯だな?
「……あの、なぜ、まっさらのグラスが?」
「あぁ。後でノンアルコール飲料でも飲もうかと思って、余分に貰っておいたんです。味が混ざっちゃうと嫌だから」
「だ、だったら、ウォッカをそっちで受けても好かったんじゃ……」
「その暇もなく草間さんが注いだんじゃありませんか。さ、さ、どうぞ」
グラスを押し付けると、すかさずウォッカをなみなみと注ぐ。
「さ、それじゃ、乾杯~」
「か、乾杯ぃぃ~……」
自慢じゃないが、俺はこれでも酒は強い方だ。だが、女史の方も中々のウワバミらしく、最初から三分の一ほどに減っていたウオッカはすぐ空になった。
「あ、空けちゃいましたね。次の瓶を貰ってきましょう。今度は少しさっぱりと、そう……ジンか何かにしましょうか?」
「い、いえ、私は明日も仕事があるので……」
「え? さっき社長が仕事納めだと言ってましたよね?」
「あぅぅ……」
その後はジン、ラム、ワイン、蝮酒とちゃんぽんに呑ませていると、とうとう女史が根を上げた。俺? 途中から気付かれないようにペースを落としたよ。
「す……済みません……ちょっと、これ以上は……女性として……」
「あ、大丈夫ですか? トイレまで送っていきましょうか?」
「い、いえ……大丈夫……です」
蹌踉とした足取りで去って行く女史を見送っていると、後から声をかけられた。
この物語はフィクションであり、実在の作家および編集者、出版社とは全く無関係です。




