第百二十四章 盗伐 4.グレゴーラム
「一個中隊が全滅しただとっ!?」
完全に想定外の報告を受けた司令官は、日頃の――嫌味なまでの――落ち着きを忘れで怒鳴り声を上げた。凶報を携えてきた副官の顔も、青いを通り越して紙のように白くなっている。
「……説明しろ」
大きな深呼吸を二、三度繰り返してようやく冷静さの欠片を取り戻した司令官は、怒鳴りつけたいのを堪えて説明を要求する。
「……残念ながら、ご報告できる事は多くありません。逃げ帰って来た者も一様に取り乱しておりまして……筋の通った説明ができるには、もう少し時間が必要かと」
「……今の時点で判っている事は?」
「生還者は六名、うち一人はかなりの深傷です。森へ近付いた所で深い霧に巻かれ、視界を奪われた状態でモンスターの群れに攻撃されたそうです」
事実は霧に付与された闇魔法によって同士討ちを演じさせられたのだが、霧で相手の姿が見えなかった事と、仲間を殺した、殺されかけたという事実を認めたくなかった事、そして何より霧が晴れた後に実際にダンジョンモンスターに襲われた事で、逃げ帰った者たちは霧の中で自分たちに襲いかかってきたのはモンスターだと思い込んでいた。
「霧だと……?」
しばし不可解そうに考え込んだ司令官は、徐に副官に訊ねる。
「ただの霧だと思うか?」
「いえ……現時点では確言はいたしかねますが、そうではないと……何者かが悪意を持って仕掛けた霧だと考えておくべきでしょう」
「貴様もそう思うか。だが、そうだとすると……」
「少なくとも、上から注意を受けたドラゴンやワイバーンの闘い方ではありません。かといって単なるスタンピードとも違います。寧ろ……話に聞くピットのモンスターの攻撃に似ているかと」
内心で恐れていた事を副官にも指摘され、司令官はピットのモンスターがここまで進出して来たという可能性から目を背ける事ができなくなった。
自分たちがイラストリアの領土を侵そうとして失敗したのはこれで二回目。偶然とは考えにくい。考えにくいが、イラストリアの意を受けての行動かというと、そうとばかりは限らない。どちらかというと、モンスターが自分たちの住処である森を守っているだけではないか? 少なくとも、今回の事案はそう考えた方がぴったりくるようだ。
ここまで考えた司令官は、更に推論を進めた先に、面白からざる可能性が鎮座している事に気付く。
「仮に、今回襲ってきたモンスターがピットのダンジョンモンスターとしてだ、やつらが行動範囲を広げたとするなら、グレゴーラムまで南下してくる可能性は……」
司令官の懸念に対して、副官は強張った声で返答する。最悪の事態を想定して、備えをしておくべきである、と。そして更に、司令官が見落としていた危険性をも指摘する。
「……モンスターがグレゴーラムを襲うとは限りません。森を目指して近辺の村を襲うかもしれません」
テオドラムの森林はほぼ消滅しているが、幾つかの村が賢明にも保全した、いわゆる薪炭林が存在しない訳ではない。その幾つかがグレゴーラムの近くに散在していた。強固な防衛設備を持つグレゴーラムとは違い、吹けば飛ぶようなお粗末な柵しか無い寒村だ。モンスターの群れに襲われたら一溜まりもあるまい。だが……援軍を送るにしても、一個中隊の歩兵を殲滅する敵に対してどうしろというのか……。
・・・・・・・・
さすがに村を見殺しにする事もできず、良い知恵が出ないままに各々二個中隊の兵を派遣するよう準備を進めていたある日の事、季節外れの霧がグレゴーラムを覆った。
この事自体は全くの偶然であり、霧もただの霧でしかなかった。だが……そう考えない者もいたのである。
「霧だっ!」
引き攣るような見張りの叫びに、グレゴーラムの「鷹」連隊は緊張に包まれた。邪悪な霧に紛れて襲いかかるモンスターの群れが、国境付近に派遣した一個中隊を殲滅した事は、既に連隊全員の知るところとなっている。そんなタイミングで発生した霧を、ただの霧と侮るような愚か者はここにはいない……。
彼らは本気でそう思っていた。
・・・・・・・・
結論を先に言えば今度の霧は、「鷹」連隊には何の直接的被害ももたらさなかった。ただし、グレゴーラムの町に何の影響も及ぼさなかった訳ではない。
霧の中に見えた人影をモンスターと思い込んで矢を放った結果、不幸な住民数名が負傷した事、霧に周章狼狽した「鷹」連隊の挙動を不審に思った住民が探りを入れた結果、連隊の兵士が余計なちょっかいをかけたために――注.住民視点――山のモンスターを怒らせて、グレゴーラムの町が狙われているという話が、あっという間に拡がったのである。
凶悪なモンスターの襲来に怯え、町を出ようとする住民が出始めていた。




