第百二十三章 冷蔵箱 4.領都エルギン
テオドラムの兵士たちが「災厄の岩窟」で地下水脈を発見していた頃、イラストリア王国の内務部は山間部に建設する氷室の予定地を選定し終えて、国王の承認を得るところまで漕ぎ着けていた。これでようやく――極秘裏にではあるが――冷蔵箱の実用化に向けて一歩踏み出す事になったのである。
なお、事を極秘裏に進めているのは、用地の買収などで小狡く立ち回って濡れ手に粟のボロ儲けを目論む手合いがいるからである。それ以外にも、準備が進んでいない段階で冷蔵箱の件が大っぴらになると、民衆の間に無用な混乱をきたす恐れがあると判断されたという事もある。ともあれ、王国の内務部からは少なからぬ人員が現地に派遣されて、測量や設計に当たっていた。
……これで気付かれないと思う方がどうかしている。
案の定、山間部を縄張りとする亜人たちが、五日も経たないうちに目敏くその動きを察知する事になった。
・・・・・・・・
(「妙な連中が山に入ってるってのは本当なのか?」)
エルギンの酒場の一角で声をひそめて話し込んでいるのは獣人の冒険者たちである。
(「そうらしい。『神々の中央回廊』で俺たちの同族が、『神々の四阿』ではエルフが、何か作業をしているらしい連中を見かけたそうだ」)
(「二ヵ所でか?」)
(「いや、確認されているのは三ヵ所。ちなみに作業をしている連中は間違いなく王国の内務部だ」)
(「確かなのか?」)
(「やつらが話しているのを聞いた仲間がいる。確かだろう」)
(「内務部が動いているって事は……」)
(「例の冷蔵箱絡みらしい。どうも氷室を造るようだ」)
(「いよいよ冷蔵箱のお目見えか……」)
(「早まるな。冷蔵箱を運用するためには、氷室は山間部だけでなく都市部にも必要な筈だ。都市部での敷地買収が上手くいかないと、実用化が遅れる可能性もある」)
(「……金の亡者どもか?」)
(「あぁ。この件が漏れたら、地所を押さえてボロ儲けをしようなどと考える不心得者が出てきかねん」)
(「解った……。当分は内密にしておこう。ただ……ドワーフの連中がなぁ……」)
(「いや。確かに連中の地声は大きいが、それでも人間に盗み聞きされない程度には声をひそめている。大丈夫だろう」)
・・・・・・・・
「王国のやつらが動き出したか」
「さぞかし酒造ギルドがせっついたんだろうな」
エルギンの亜人連絡会議事務局の一室で話し込んでいるのは、ホルン・トゥバ・ダイムといった事務局首脳部の面々である。彼らの許には獣人やエルフからの情報が逐一上げられていた。それらを総合すれば、王国の動きを把握するのもさほど難しくはなかったのである。
「『神々の四阿』で目撃したエルフは、風魔法を使って彼らの会話を聞き取ったそうだ。その内容からすると、山の氷室は冬になる前に造り上げて、王都への道も目処を付けておきたいらしい」
「……てぇと、来年の夏までには実用化しようって事か」
「そうだろうな。王都内にも氷室の敷地を確保するようだが、そろそろ金の臭いを嗅ぎ付けた連中が動き始めたようで、酒造ギルドも手こずっているらしい」
「その情報はどこからだ?」
「何、連絡係を務めてくれた学院のエルフに、ギルドのやつらが愚痴ってきたそうだ」
「……まさかと思うが人前でか? ギルドの連中は秘密保持が甘いんじゃねぇのか?」
「あっちは人間相手だからな。黙りを決め込むのも限界があるんだろう」
ホルンたち三人はしばし黙り込んで、イラストリア王国による氷室建設の動きについて思いを馳せていた。
実は、氷室の建設を歓迎しているという点では、エルフたちも酒造ギルドに劣らぬものがあった。ビールの醸造は低温発酵と低温熟成が基本になるため、今季のビール醸造は始まったばかりである。できたビールを貯蔵するのは、現在はクロウ提供の遮熱の魔道具と氷に頼っているが、いずれは自分たちで冷蔵技術を開発する必要があると痛感していた。王国による氷室建設は、ビールの醸造に携わるエルフたちにとっても歓迎すべき事だったのである。
「精霊使い様は、冷蔵箱は酒だけでなく、食品の保存のために重要だと仰っていたんだが……」
「……町に出回る食い物の種類が変わるって事か?」
「……ありそうな話だ。思ったよりも大事になりそうな……あぁ、それで王国が目の色を変えているのか」
一頻り話し込んでいた三人であったが、やがて誰からともなく黙り込み……そして再び口を開いた。
「テオドラムのやつらはこの事を察しているのか?」
「あっちはあっちで大騒ぎらしいからな。多分気付いてはいないだろうよ」
「冷えたビールか……テオドラムの酒場は結構な痛手を被るだろうな」
「その後でやつらがどう動くか……考えておかにゃなるまいぜ」
この後は二回ほど挿話を挟んで、それから本筋の話に戻ります。




