第百十三章 マーカス 3.国境監視部隊(その3)
「我々と違って、テオドラムは水の供給を後方からの輸送に頼っています。我々が水路を封鎖したせいでね」
「……テオドラムが水を欲しがっているというのは判る。だが……冒険者は、あるいは冒険者の屍体は、どうやって水の存在を彼らに教えた?」
「溺れ死んでいたとしたら?」
「溺れ……」
水死が疑われる屍体の場合、肺などの組織を調べれば、水が入ったのか生前か死後か、すなわち、溺死したのか死後に水中へ投棄されたのかが判る。この世界では現代日本のような警察組織は無いが、屍体鑑定の技術については軍の情報関係の部署が管掌しており、それなりの水準に達していた。
尤も、クロウはマーカスが疑ったような小細工はしておらず、テオドラムにしても水の存在は魚の鱗から導き出したのであるが、そんな事は神ならぬ身のマーカスに判ろう筈がない。
監視部隊の指揮を任されているファイドル代将は、しばらく黙って副官の意見を吟味していたが、やがて結論を下した。
「辻褄は合う。だが、合うだけだ。全ては憶測に過ぎん」
一旦言葉を切って、ちらりと副官の表情を窺うが……何の表情も浮かべていない。相変わらず可愛気の無いやつだ。
「とはいえ、テオドラムの利益は我が国の国益を損ねるおそれがある。看過すべからざる事態なのも事実だ」
ここで初めて副官が反応を返した。僅かに身動ぎをすると、上官に視線で問い質す。では、どうするつもりなのか、と。
「状況を見る限りでは、テオドラムは国レベルの判断に基づいて動いている。対して、我々は末端の一部隊に過ぎん。現場の判断だけで動く事はできん」
要は上へお伺いを立てるという事だ。ただし、ファイドル代将とて単に凡庸な窓際指揮官ではなかった。叩き上げの彼は副官が見過ごしていた問題点に気付いており、それゆえにテオドラムの行動に困惑していたのである。
「他にもおかしな点がある。やつらが水脈を探しているというのは一見理に適っているが、やつらはそこで得た水を何に使うつもりなのだ?」
「は?」
「いや、現場の水不足を解消できる事は解る。しかしだ、それだけのために、出先の一部隊の渇きを癒すためだけに、国が動くものか?」
思わず絶句した副官に押し被せるように、代将は更に言葉を紡いでゆく。
「我々が今やっているように、灌漑に使う事も考えられないではない。しかし、これもまた不自然だ。紛争まっただ中の国境地帯で農作業などやりたがる者はおらんだろう。我々にしても挑発……というより嫌がらせの意味が強いくらいだからな。そんな事のために部隊を動かすというのも、やはり不自然だ」
テオドラムが水だけのために軍を動かしたと考えると、早晩代将が述べたような疑問点に辿り着く。兵を動かすというのは戦略レベルの話、現場の状況の改善という戦術レベルの動機では説明が難しいのである。テオドラム一国を潤すだけの水でもあれば話は別だが、そんな水量がここに無いのは、マーカスがどこの国より知っている。
結局、テオドラムが何を探しているのかは判らないままである。
「では……このまま放置ですか?」
明らかに面白くなさそうな副官に苦笑を返し、ファイドル代将はポツリと漏らす。
「揺さぶりをかける事くらいはできるか……」
「揺さぶり、ですか……?」
「あぁ。例えば、我が国の兵士を大量にダンジョン内に送り込む。こちらも鶴嘴を持たせてな」
「しかし……それは余りにもあからさま過ぎませんか?」
「挑発である事と、見過ごせるかどうかは別だ。もしもテオドラムが探しているのが水脈だとすると、いや、水脈でないとしても、我々に先んじられる可能性は見過ごせまい。九分九厘挑発だと判っていようともな」
「……無視した場合は?」
「それはそれで一つの手掛かりになる。テオドラムは探しているものがどこに在るのかを、あるいはマーカス側には無い事を、確信しているという事にな」
そう言うと代将は眼を瞑ってしばし黙考していたが、やがて眼を開けると低い声で呟いた。
「……テオドラムが国として動くに充分な理由を、もう一つ思いついた」
「何です?」
「我々に渡したくない何かを、我々に先んじて確保しようとする場合だ」




