第百十章 王都イラストリア 6.冷蔵箱
その日、国王は執務室に回ってきた書類の決裁を行なっていた。同室しているのは、今日は宰相一人である。半ば機械的に文面を確認してはサインを入れていた国王の動きがふと止まる。
「……如何なさいましたか? 陛下」
目敏く国王の様子に気付いた宰相が声をかけると、国王は黙って書類を寄越した。
「失礼……ほほぅ、酒造ギルドから……ふむ、冷蔵箱の試験に学院の魔術師を使いたいとの申請ですか……」
「そんな事ぐらいで、態々余の手を煩わせてほしくはないものだがな」
「秘密裡に開発するようにと釘を刺しましたからな。少々薬が効き過ぎたのでしょう」
「そこまで気にする必要は無いと思うのだがな」
「時期が時期ですからな。テオドラムの動きがおかしくなっている今、目立つのは避けるべきと思ったのでしょう」
「これぐらいの事で仰々しく国王府に申請など出していたら、そちらの方が余計に目立つとは考えんのか……」
国王のぼやきは半ば気分転換である。それが解っているから、宰相も罪のないお喋りに付き合っている。
「まぁ良い。以後は一々申請に及ばぬと但し書きを付けておいてやろう」
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「国王府から、魔術師の協力を得る事への許可が下りた。以後は申請に及ばぬそうだ」
酒造ギルドのギルドマスターからの報告を聞いて、メンバーの間にほっと弛緩したような空気が流れる。
「助かったな。一々王家にお伺いを立てていたら、正直冬までに試作が間に合うかどうか微妙だった」
「うむ。何としても雪が降る前に、せめて道が雪で閉ざされる前に、試作を終えておきたかったからな」
冷蔵箱の本体ができても、それを町で運用するには、氷室という設備が欠かせない。氷を作るためだけに一々魔術師を雇っていたら、コストダウンになどならないのである。ペルティエ効果は勿論、冷媒の圧縮・気化を用いた冷却法も、硝酸塩を用いた冷却法も実用化されていない以上、積雪を凍らせて保存しておく氷室が一番現実的なのである。そして、山間部で作った氷を都市部で利用するためには、町の中にも氷室が必要になる。そこに入れる氷は山間部から運んでくるしかない訳で、積雪の前に山の氷室だけでも造っておきたいというのが酒造ギルドの意向であった。
「エルフからもらった設計図はあくまで実験用だからな。実際に運用する上では、大きさ、内装の金属の種類、断熱材の量や種類などの違いによって、どの程度効果が変わるかの検証が不可欠だ」
「その上で実用的な様式を決定、夏までには量産……少なくとも拡大試作には漕ぎ着けておきたい。テオドラムの件が無くとも、のんびりしている暇は無いぞ」
来年の夏には冷蔵箱を披露して、来るべきビールに備えての競争力をつけておきたい。いや、事は既にエール醸造者だけの問題ではない。赤ワインは冷やし過ぎると美味くないが、その他の酒は、提供の仕方如何で夏の売り上げが増えるかもしれない。酒以外の食品も長保ちする可能性があるため、冷蔵箱の運用を握る酒造ギルドの権威と勢力は大きなものとなるだろう……。
野心に燃える酒造ギルドの面々は、文字通り一丸となって冷蔵箱の実用化に取り組んでいた。




