挿 話 ビール狂躁曲~冷蔵技術を巡って~
書籍化記念週間という事で、本日も三話更新といたします。
ビールを冷たいままに保存しておく技術があるらしい。
学院――正式名称はイラストリア王国王立講学院――勤務のドワーフから、出所をぼかして伝えられたその情報は、文字通りドワーフたちを熱狂させた。しかしその一方で、冷蔵箱の技術がもたらす流通改革の重大性にも気が付いた彼らは、この件については口外を禁じる事を堅く申し合わせたのである。
はっきりとは明かされなかったものの、どうせ情報の出所はエルフ、より正確に言えば亜人連絡会議だろうと察しを付けたドワーフたちは、些か中っ腹な思いを禁じ得なかったものの、技術内容の重大性に鑑みて無理からぬ事であったと納得した。下手に騒いで情報が漏れ、万一にも実用化が遅れるような事になったら大変ではないか。
斯くいう次第で各地各国のドワーフたちは、酒造ギルドによる冷蔵箱の発売を今か今かと首を長くして待ち焦がれていたのだが……そんな中にあって、一つの問題点に気付く者も出てきたのである。
・・・・・・・・
「のぅ、ギブソン、その……例の……箱の事なんじゃが……」
冷蔵箱の情報を口に出す事は厳禁とされている――尤も、ドワーフたちの秘密厳守っぷりに較べて、酒造ギルドの連中は少し口が軽いのだが――ので、ボックの言葉も煮え切らない。しかし、ドワーフたちの間では「箱」と言うだけで何の事か通じるのであった。
「ん? どうかしたか」
「いやな……箱が手に入って、その……理想的な状態を保つ事ができるとしてもじゃ、その状態にもっていくのは……何じゃ、ほれ……冬になると水が変じるアレが無ぅてはできんのじゃないか?」
ボックの指摘は全くの正論であり、それ故にギブソンの心臓を射抜いた。冷蔵箱は氷の冷気をもって箱の中を冷やす道具であり、氷が無くてはただの箱である。冬になれば氷を入手する事もできようが、逆に言えば冬になるまで氷の入手は困難という事だ。魔術に長けたエルフなら氷結の魔術を使う事もできようが、保有魔力の低い自分たちドワーフには……
暑い季節、冷えたビールが美味い季節に、冷えたビールが、飲めない……?
無情な可能性に心臓が停まらなかったのは全く運が好かった……後になってギブソンはそう述懐している。
「お主の……言うとおりじゃ……箱は中身を冷やす事はできても……そのための氷の入手が困難では……」
「ギブソン! 口を慎むんじゃ!」
ショックのあまり機密厳守を忘れてしまった呑み友達を、ボックが血相を変えて窘める。このご時世、どこに誰の耳があるのか判らないのだ。たとえここが自宅であったとしても……。基本ドワーフは地声が大きい。外で耳を澄ませている者がいるかもしれないではないか。
「す、済まん……つい、取り乱してしもうた……」
無理もない、とボックは思う。自分にしてからが、この事に気付いた日は一日呆然としていたのだ。
「じゃが……そうなると儂らドワーフは、何とかして……その……方法を見つけねばならんという事じゃ……」
さもなくば冷えたビールにありつけない、という部分は怖くて口に出せなかった。
「うむ。じゃが……儂の頭ではその方法が思いつかん。ギブソン、お主なら良い知恵を出せるのではないか?」
「馬鹿を言え……儂とて鉱物の事を少し知っておるだけじゃ。魔術の事など解らんわい」
「いや……そこなんじゃ。魔術以外では……その……ナニする事はできんのか?」
ふむ、とギブソンは考え込む。それこそ必死に考える。ドワーフにとって美味い酒が飲めないという事は、大袈裟でも何でもなく死活問題なのだ。
「……やはり儂には心当たりが無い……が、知っておる者はいるかもしれぬ」
「……それは?」
「うむ。例の連絡会議に問い合わせてはどうかと思うてな」
・・・・・・・・
連絡会議がクロウの回答――情報の出所は明かしていないが――すなわち、硝石を利用した冷却技術の存在を教えられるのは、少し後の事である。
次話は約一時間後に公開の予定です。




