第百五章 災厄の岩窟 7.波紋(その2)
モルファンの介入によって一触即発の危機は回避されたとは言え、事態が少しも進展していないのは事実であり、国際関係が緊張を孕んだままなのも変わっていなかった。気付いていなかった大戦の危機をモルファンの指摘によって避け得た市民たちは胸を撫で下ろしつつも、正体の判らぬダンジョンに不安を募らせていた。
しかし、そんな中にあって冷静に事態を眺めていた者たちもいたのである。
・・・・・・・・
「なぁウォーレン、あの岩山ダンジョン、ありゃⅩの仕業なんだよな?」
「断定はできませんが、恐らくそうでしょうね」
「で、あのゴーレムだが、本当にⅩのやつが屍体を黄金のゴーレムに変えてんだと思うか?」
「思いませんね」
迷う事無く即答したウォーレン卿を見て、ローバー将軍は理由を訊ねる。
「理由も何も、Ⅹが思いのままに黄金を作り出せるなら、ビールや砂糖の件にしても、もう少し違ったものになっていた筈です。これまでのⅩの行動は、資金に不自由しない者のそれではありません」
「……すると、あの銅の屍体は何だ?」
「単にそれっぽい銅像を造っただけでしょう。何のためかと訊かれても困りますが、世間をからかったのか、テオドラムへの嫌がらせでしょう」
「……だが、マーカスを巻き添えにした理由は何だ?」
「ただのとばっちりじゃないんですか?」
ウォーレン卿は正しくクロウの理解者であった。
・・・・・・・・
(「なぁ、人間たちが騒いでいる一件だが……精霊術師様の仕業じゃねぇのか?」)
(「確信はないが……そうだとしても驚かんな」)
(「屍体を黄金のゴーレムに変えたんだって、人間たちが騒いでいるが……」)
(「わざわざ黄金でゴーレムを造る必要が、どこにあると思ってんだ?」)
(「冷静に考えりゃ、馬鹿を引っかけるためだって判るだろうにな」)
(「そうなると、あの銅製の屍体ってのも眉唾か」)
(「決まってんだろ。あの精霊術師様だぞ?」)
(「お味方なのはありがてぇが……お人柄が悪いよなぁ……」)
亜人たちも薄々とこの一件がクロウの仕組んだ事であろうと察しており、意外にもクロウの人柄が好意的に伝わっている事もあって、その所業に疑いを持つ者はいなかった。
(「まぁ、テオドラムが酷ぇ目に遭うなぁ万々歳だが、マーカスはちっと気の毒だな」)
(「以前にレポートを廻してやった縁もあるし、それとなく話を通しておくか?」)
(「だが、下手な説明では、こっちが疑われるぞ」)
(「……一応、マーカス在住の同胞にだけ話を通しておくか」)
(「それぐらいが適当だろうな」)
寧ろ彼らの関心は、マーカスへのアフターケアをどうするかという点に集まっていたのである。
・・・・・・・・
シュレクのダンジョン村でも、北の国境線に出現したダンジョンの事は話題に上っていた。ヴィンシュタットへの道は封鎖されたが、隣村との交通までは途絶えていない。なので、ダンジョン村の住民は王国側が思っているよりも――王国の監視が無い分――自由に行動していたのである。そうやって近在の村と往き来していた村人の一人が、北の国境付近に出現したダンジョンの話と、そこのダンジョンマスターが屍体を黄金に変えているという与太話を聞き込んできたのである。注目すべきは、この噂話には真っ黒なスケルトンワイバーンの話も含まれていた事で、この話は彼らダンジョン村の住人にとっては重要な意味を持っていた。
「……じゃぁ、北の国境にできた岩山も、ダンジョン様のなさった事だって言うのかい?」
「真っ黒な骨だけのワイバーンが飛んでたって話だから、まず間違いは無ぇ」
「でも、それじゃ屍体を黄金に変えているって話は?」
「デマに決まってんだろうが。ダンジョン様がそんな非道な真似をなさるもんか」
この村におけるクロウへの信頼は、間違いなく信仰の域にまで達していた。
「大体、人間そっくりの銅像が出てきたから、金色のゴーレムも人間だったなんて話、どこをどうやったら出てくるってんだ」
「そうそう。ここのダンジョンから魔物が出てきた時だって、村の者は勿論兵士にも、魔物に怪我をさせられたってやつぁいねぇんだ」
これは事実である。死傷者はいずれも暴徒化した民衆に踏み潰されたり突き飛ばされたりした者ばかりで、しかもそのほとんどが兵士であった。
「怪我した者や具合の悪くなった者も、ダンジョン様のお遣わしめに直してもらっているからねぇ……」
「でも、そうすると一体何で……」
「思うんだが……ダンジョン様にからかわれたんじゃねぇか?」
根性悪の兵隊たちならそういう目に遭う事もあるかもしれないという話になり、その日も村人たちはいつもと同じように一日を終えた。「ダンジョン様」への感謝を胸に。
・・・・・・・・
さて、肝心のクロウはと言うと、万一多国籍軍がダンジョン内に侵入したら、一ヵ月くらい水だけ与えて監禁し、好い具合に弱ったところでテオドラム国内に転移してやるかなどと碌でもない事を考えていた。もしも「岩窟」の準備が間に合わなかったら、その時はゲートでシャルドの隠しダンジョンに送り込んでやればいいと意見の一致をみて、その場合の作戦計画も練ってあった程である。
ダンジョン戦の経験もない兵士など幾ら来ようが、クロウたちに不安は無かったのである。
・・・・・・・・
ちなみに、歴史に残る傍迷惑な大騒動を引き起こした彼のダンジョンの名前であるが、誰言うともなく「災厄の岩窟」と呼ばれるようになった。尤も、ダンジョンの名称には異見もあり、「強欲の迷宮」あるいは「亡者の岩屋」などと呼ばれる事もあったが。




