第百五章 災厄の岩窟 6.波紋(その1)
クロウが打った窮余の一手――銅製の「屍体」――は、当人が予想していた以上の波紋を広げる事になった。
《黄金のゴーレムに見えたが、あれは本当にゴーレムだったのか?》
《自分が腕を斬り落とした小さなゴーレムは、あれはひょっとしたら……》
《俺たちは、本当は何を攻撃したんだ……?》
ダンジョンと対峙している兵士たちの戦意が、かつてないほどに低下したのである。いや、兵士だけではなかった。商業ギルドはもはや黄金の事を口に出さなくなったし、冒険者たちは国境から遠離ろうとしていた。
《死者の亡骸を徒に玩弄し、その尊厳を踏みにじる行為は、断じて許されるものではない。教理宗派は違えども、我々はこの一点に於いて意見の一致をみた事を、ここに宣言する》
宗教界は挙ってダンジョンマスターの非難決議を採択した。これもまた前代未聞の事であった。
そして、このような趨勢に頭を抱えている国があった。当事国とされたテオドラムとマーカスである。彼らにしてみれば、自国の領内に通ずるかも知れないダンジョンに、他国の者を入れる訳にはいかない。これは国防上の観点からみても妥当な意見である。しかし、世間の空気はもはやそれを許すような情勢ではない。世論を尊重してダンジョン内への立ち入り調査を許可するか、他国と語らってダンジョン討伐に乗り出すか、あくまで国防上の観点からダンジョンへの立ち入りを突っぱねるか、それともいっそテオドラムとマーカスが被害者同盟を組んで、うるさく言ってくる他国に対抗するか。そんな意見まで大真面目に検討されるほど、彼らは追い詰められていた。
当事国である二国をそこまで追い詰めたところで何の益も無い事ぐらい、各国の首脳部には判っている。なので、適当なところでの手打ちを考えていたのだが、そんな内情を判っていない者たちもいた。ただ雰囲気に流されてダンジョンマスター討つべしの声を上げる者、ダンジョンから得られる利益を皮算用する者、名を上げるために闘いの場を望む者などである。
強硬論が主流を占めて収拾がつかなくなりかけたところへ、冷水を浴びせかけた者がいた。北の大国モルファンである。
モルファンは、当事国でない自分たちが嘴を挟むのは筋違いかもしれないがと前置きした後で、一部のアジテーターが徒に民心を煽って社会を不安定にしている事を憂い、民衆たちに問うたのである。問題のダンジョンはテオドラムおよびマーカスの領内にある。はっきりした事情も判らぬうちからそのダンジョンに攻め入る事を主張する者は、すなわち善良な市民をして他国へ攻め込ませる事、言い換えれば世界大戦を引き起こそうとしている事を自覚しているのか。そしてその尻馬に乗る者は、自分たちの家族を戦争に引き込むつもりなのか、と。
このモルファンの声明は、興奮していた市民たちを一気に鎮静化するのに充分であった。しかし、なおもモルファンは追及する。もしもあのダンジョンの主が、死者を金属のゴーレムに変えて操っているとしたら、誰がそのゴーレムを斃すのか、斃したゴーレムをどうするのか、と。抑あのゴーレムは、肉体を金属に変えられた人間なのか? それとも、死者の魂だけを乗り移らせた人形なのか? 死者とは全く無関係なただのゴーレムなのか? 金属のゴーレムが死者のなれの果てだとしたら、ダンジョン内の全ての金属がそうでないと誰が言えるのか、と。
容赦のないモルファンの弾劾は更に続く。
抑の発端は宗教界が先走った声明を出した事に起因する。一体宗教界は、あのような声明を出すに充分なだけのダンジョンの情報を持ち合わせているのか? もしそうなら、何故それを公表しないのか? それとも深い考えも無しに勝手な空想をした挙げ句、その空想に向かって吠え立てただけなのか? 民衆を導く立場にある者として、自分たちの行動は正しいと神に誓えるのか?
言葉による粛清とすら言えるこれらの公開質問に答え得る者はおらず、事態は後味の悪い思いを残したまま鎮静化したのである。
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モルファンがこのような形での介入を行なった理由については、後年になっても明らかにされていない。ただ、モルファンは自国と南方を結ぶ交易ルートが不安定になるのを嫌って、騒ぎを収めようとしたのだろうと言われている。
モルファンの上層部からドランの村へ、ビールについての質問を携えた特使が派遣されていたという噂もあるが、これも事実かどうかは不明なままである。




