第百三章 ターゲットは新金貨 4.ゲルトハイム鋳造所
新貨幣の鋳造を目前に控えたゲルトハイムの鋳造所は、時ならぬ時に発生した火災の後始末に追われていた。選りにも選って鋳造所の建物が被害に遭ったのである。全焼には至らず、どちらかと言えば被害は軽度であったのだが、何しろタイミングが悪かった。改鋳用の金の地金が明日にも届こうというタイミングでの不祥事である。地金の保管場所は武器庫の一隅に変更したのでとりあえず問題は無い筈だが、鋳造所の方を大至急補修しないと、作業中や夜間の警備に問題が出る。それに抑、この火事が偶発的なものか、それとも人為的・意図的なものかを確認しなくてはならない。聞き込んだ限りでは人為的な破壊工作の線は薄いようだが、このタイミングでと言うのが引っかかる。建物の補修が遅れる事になるが、現場検証は必要だ。責任者の怒号が飛び交う中、鋳造所の職員は無論、警備兵の一部までもが、建物の補修作業と調書の作成に追われていた。
翌日、危惧されていた改鋳用の金の地金は無事に搬入され、関係者一同は胸を撫で下ろした。とはいえ、鋳造所の建物はどうにか応急処置が済んだ段階で、地金の保管場所としてはセキュリティの面で不安が残る。他にも延焼した建物があるため、鋳造所の建物だけを修理する訳にはいかない。保管場所については現状のまま、武器庫の一隅を使う事になりそうであった。
ある日の深夜、テオドラム王城から届いた改鋳用の金の地金が保管されている武器庫の裏手に、一つの影が現れた。音もなく、夜の闇から溶け出すように。その影は武器庫の壁に手を触れると、そのまま武器庫の中に溶け込むように消えていった。
『ふん。どうやらアレがお目当ての地金のようだな』
『ご主人様、もうこの小屋も、ダンジョン化したんですか?』
『あぁ。少々音を立てても、外には聞こえん筈だ。先日の火事の後始末に、今なお警備兵まで駆り出されているようだしな。お手柄だったぞ、キーン』
『えへへ、あれくらい簡単ですよぉ』
キーンが上手い案配に火事を起こしてくれたので、警備のための人員までもが建物の補修や後片付けに追われている。武器庫が狭い事もあって、警備兵は入口付近に詰めているだけで、武器庫の中にはいない。武器庫自体をダンジョン化しているので、中の様子は外に漏れない筈だ。とはいえ、急いで作業を終えた方が良いだろう。
「さて、ダンジョンマジックで袋自体をダンジョン化して……よし、成功だ。中身を入れ替えるぞ」
「へい」
袋の中身を偽の地金と入れ替えるのには、エメンほか四名――携帯ゲートを通じてアンデッドたちを招き入れた――の手を借りればすぐに終わった。袋のダンジョン化を解除して、作業用に呼んだ人員を携帯ゲートを通じてオドラントに帰還させる。武器庫のダンジョン化も解除した後、クロウはダンジョン転移でオドラントに戻った。
後には何の痕跡も残っていなかった。最初から何事もなかったように。
・・・・・・・・
本作戦の肝である地金のすり替え。これを成功させるために、クロウは事前に様々な手を打っていた。
第一に、モルヴァニアの国境監視部隊を刺激して、そろそろ疲労とストレスが溜まっていたであろう兵士の交代を誘発した。テオドラム側からはモルヴァニアが兵力を増強したように見えた筈で、対抗上配置した部隊も緊張状態に置かれた。
第二に、マーカスを刺激してテオドラムとの国境付近に軍を展開させた。当然、テオドラム軍はこれに対応すべく部隊を動員する必要に駆られた。これら二つの軍事行動の結果、テオドラム東部の兵力は余裕を削られる事になった。
第三に、ゲルトハイム鋳造所で火事騒ぎを引き起こし、地金の保管場所を変更させた。先述した軍事行動のせいで動員能力を圧迫された東部の各連隊は、被災したゲルトハイム鋳造所に人出を回す余裕が無い。結果的に鋳造所は火事騒ぎの後始末を自前の人員で行なう羽目になり、警備兵たちの疲労を招いた。
第四に、運び込まれた地金の全てをすり替えるのではなく、その一部のみをすり替えるに留めた。
「じゃあ、地金の全部はすり替えねぇんで?」
「『あぁ、色々考えたが、ゲルトハイムが担当する地域の金貨だけがごっそり贋金に変わったとなると、奴らも普通の偽造犯罪とは考えまい。新金貨の三分の一を一気に無効化できるのは魅力だがな」』
クロウは、まだ念話に慣れていないエメンとは口頭で話し、同じ内容を念話で他の眷属に流していた。器用な男である。
『我々の存在と……能力が……テオドラム側に……知られる事に……なります』
「『そういうのは願い下げだからな。一部だけを贋金にすり替える事で発覚を遅らせ、露見しても通常の偽造犯罪と思わせる」』
「ダンジョンにビールや砂糖であれこれやってんでしょう? 今更普通の贋金造りたぁ考えねぇんじゃねぇですか?」
「『疑いはしても、断定はできんだろう」』
「だったらいっその事、他の町にも贋金を流して混乱させますかい?」
「『その方がより確実だろうが……できるのか? エメン」』
「普通に贋金を作って使うだけでやすからね。簡単でさぁ」
エメンの提案を容れて、エメンが造った贋金貨を南部の町に流す準備も整えた。偽造のための型はクロウが――ゲルトハイム鋳造所の作業場に潜入した時に――ダンジョンマジックのスキルによって模造していた。
更に、地金のすり替えに気付かれないように、作業員の心のゆとりを二つの方法で奪った。すり替えと同じ夜になされたこれらが、第五と第六の仕掛けである。
『主様、宿舎に仕掛けた魔石は何だったんですか?』
『一種の眠気覚ましだな。感覚が鋭敏になり、神経が昂ぶる。不寝番が使っている薬と同じ効果を周囲にもたらす。一種の呪いだな』
魔石自体は小さいので、一晩効果を発した後は消耗して、ただの石と変わらなくなる。後で見つかる可能性は低いだろう。
『警備の者もまるでおりませんな』
『技術職とは言っても、作業員は所詮奴隷だからな。安全確保など最初から考えていないんだろうよ』
魔石が効果を及ぼした結果、作業員たちは外で行なわれている補修作業や後片付けの物音、風の音などが耳について眠れず、睡眠不足の状態で出勤する羽目になった。
そして第六に、地金を融かすための薪に、とある木の枝を少しだけ混ぜておいた。
『こいつを燃やして出る煙には、僅かだが心を苛つかせる効果がある』
『あっ、作業員の注意力を削ぐんですね?』
『正解だ。地金がすり替わっている事に気付かれないようにな』
『なるほど……一つ一つは小さな事だから気付かれにくい。しかし、それらが積み重なった結果は無視できない……。見事なお手並みです、閣下』
ゲルトハイム鋳造所における地金のすり替え。それを成功させるために、クロウはこれだけの手を打っていたのである。




