第百三章 ターゲットは新金貨 1.モルヴァニア軍国境監視部隊
その夜、モルヴァニア軍国境監視部隊の陣地からは、テオドラムとの国境付近に妖しい光がふわふわと漂っているのが見えた。
「……なるほど、確かに胡乱な光だな……。鬼火というやつか?」
部下から報告を受けたカービッド将軍は、国境付近に漂う光球の群れを眺めて副官に話しかける。
「自分も実物を見た事は無いので断言は致しかねますが、恐らくそう考えて間違いは無いかと……」
漂う光球の正体は――将軍たちが看破したとおり――クロウが魔石をしこたま与えて強化した鬼火である。以前、漏出魔力の対策にクレヴァスのダンジョンで運用し、魅了スキルを与えたら結構使えたので、今回も「廃坑」のモンスターとして召喚したのである。
「いつから現れた?」
「今から一時間ほど前に気付いた者がいたようです。ただ、その時には今より数が少なく一つか二つ程度だったので、気にも留めず報告もしなかったようです」
「まぁ、その段階で報告をもらっても困っただろうがな。いつ頃から増え始めたのかは判らんのか?」
「残念ながら。二十分ほど前に報告してきた兵士によれば、その時点で既に三十体ほどはあったようです、今は五十体以上いるようですが」
実際には二十体ほどである。クロウが転移を使いまくって、鬼火をあちこちに動かしているだけだ。鬼火がゆっくりと明滅を繰り返しているために、一体ずつ転移させると案外判らないものらしい。モルヴァニア側に転移という発想が無い事も大きいだろうが。
「で? 段々近づいているという事だったが?」
「正確に言えば、一部に接近と離脱を繰り返している個体がいるという事ですが」
「ふむ……あれが鬼火だとして、危険はあるのか?」
「知られている限りではありません。驚いた拍子に転倒して怪我をする者が出るくらいで」
「なら、大して気にする必要は無いか……一応警戒だけはしておけ」
この判断が間違っていた事を将軍が知るのは、もう少し後の事になる。
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「新兵どもが誑かされただと?」
「錯乱とまではいきませんが、近づいて来た鬼火に魅入られたようについて行こうとした者が五名、国境の方へ駆け出そうとした者が一名、いずれも新兵です」
就寝中を起こされた将軍は不機嫌を隠そうともしない。だが、副官も伊達にこの将軍閣下に長年仕えている訳ではない。動じた様子もなく、淡々と事態を報告する。
「鬼火は無害なんじゃなかったのか?」
「ここの鬼火は違うようです。あるいは、鬼火ではないのかもしれません」
「魅入られた新兵どもはどうした?」
「引っぱたいたら正気に戻ったので、今は救護テントで休ませています」
「呪いの反応は?」
「ありません。軽度の魅了状態だったようです」
眠気覚ましに濃く淹れた茶を副官から受け取りながら、将軍は考えを纏める。
「新兵だけが取り乱した理由は? それと、研究者たちはどうなんだ?」
「研究者たちからは、何も異常報告は上がっていません。それと、新兵だけが魅入られた理由ですが、我々が思っていた以上に、ここでの生活が堪えていたのではないかと」
「争い一つ無い、平和な生活だろうが」
「寧ろ、だからこそでしょう」
副官が将軍の考えを訂正する。
「所詮は人数合わせに引っ張ってきただけの新兵です。何が起こるのかも判らず、二ヶ月近くただ待つだけの毎日。その間ずっと気を張り続けていた訳です。寧ろ何かが起きてくれた方が、向こうの出方が判る分、却って安心できたでしょう。自覚しないままにストレスが溜まっていったようですな」
「この段階で判ったのは寧ろ幸運か……」
カービッド将軍は、無自覚にストレスを受けているであろう新兵を中心に、兵員の交代計画の素案を脳内で練り始める。新兵たちは壊れないうちに交代させておくべきだろう。
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数日後、カービッド将軍の具申を受け容れたモルヴァニア軍は、新兵を中心に兵員の交代を行なった。交代の兵士だけでなく、備品や消耗品を満載した荷車も到着する。この動きを察知したテオドラム――件の鬼火はテオドラム側からは見えなかった――は、この時期にモルヴァニアが監視部隊の増援と刷新を行なった事に対して、不審と警戒を強めていくのであった。




