第九十九章 王都イラストリア 4.ヤルタ教中央教会
「これがその砂糖か?」
「はい。亜人の娘が砂糖を入れようとするのを、少しずつ入れて味わいの変化を楽しみたいからと言い繕って、砂糖のまま貰ってきたそうにございます」
「……なかなか心利きたる者よな」
ヤルタ教中央教会の一室で、教主ボッカ一世は諜報部隊の指揮官から五月祭を騒がせた「砂糖」の現物――日数からしてサウランドで入手したものらしい――を受け取っていた。どうやらヤルタ教の諜報員は、テオドラムやイラストリアの同業者よりも一枚上手だったようである。
「ふむ……輝くばかりの白さよな。テオドラムの自称『上質糖』とは物が違うわ」
そういうとボッカ一世は、指先に少量の砂糖をつけて、舌先でぺろりと味わった。
「むぅ……雑味が全く無い。甘味だけじゃ。舶来糖に優るとも劣らぬ品質よの」
これほどのものを亜人どもめが扱っておったというのか……。
「猊下、亜人どもは何を考えておるのでございましょうか」
ふむ……問題はそれじゃな。
「傀儡兵の件は間違いなく亜人どもに報せたのじゃな?」
「は、半年ほど前に、確かに」
その後、何も動きを見せずに、今になってこれか……。
「油断のならぬ知恵者がおるようじゃな」
「は?」
「傀儡の件で逆上してテオドラムに討ち入っておれば、亜人は危険な存在だと民草に印象づける事になったであろう。しかし、このような形でテオドラムの礎を食い荒らせば、民草の目に映るのは美味いエールや果実水を供給する姿のみ。民心の離反無しに、テオドラムを痛めつける事ができる」
淡々と説明するボッカ一世に対して、解説を受けた諜報部隊指揮官の方は、驚愕と狼狽を顕わにした。
「亜人どもめがそのような事を!?」
「とは限らぬよ」
「……は??」
「知恵者が亜人と決まった訳ではないと言うておる。どちらかと言えば人間か、あるいは魔族の考えそうな事じゃからな」
「亜人どもの背後に黒幕がいると……?」
「その可能性は無視できぬ。考え過ぎかもしれぬが、考えが足りぬよりはましであろう。可能ならば、少し探ってみよ」
「は!」
・・・・・・・・
諜報部隊の指揮官を下がらせた後で、ボッカ一世は一人思索に沈む。
(どうも、この件の裏には「バトラの使徒」めの影がちらついて見える。何者かは判らぬが、亜人を背後で操っておるのは間違いあるまい)
手元の盃を口に運びながら、ボッカ一世は考えを進める。
(使徒の正体が何者かよりも、何を考えておるかの方が今は重要じゃが……使徒めの考え方を判じるに当たっては、その力量を確かめておく必要があるな)
無意識に盃にお代わりを注ぎ、新たな一杯を呷る。
(砂糖の件に気を取られがちじゃが……果実水にせよエールにせよ、よく冷えておったと言うておった。魔術師らしき者が魔術を行使した気配は無かったとも。だとすれば、何らかの魔道具が使われたのであろう。エルフは魔法に長けておるそうじゃが、今回魔道具を用いたのは、複数の場所で冷却の魔法を使う必要があったからか。つまり、冷却の魔法を使える者の数は限られておる。それを補うための魔道具か……)
そこまで考えを進めたところで、ボッカ一世は頭を振ってその考えを振り払う。
(いや、そうと決めつけるのは早計。魔道具にする事で、冷却の魔法自体を売り物にする事ができる。……してみると、本当の売り物は冷却の魔道具か? 聞くところによれば、食物は冷やして保存する事で長持ちするものが多いとか。目端の利く商人なら、挙って冷却の魔道具を欲するであろう)
そこまで考えたところで再び頭を振って考え直す。
(いや、これもまた先走り過ぎじゃ。使徒めが商売を望んでおるという証拠は無い。寧ろ、これらの技術をちらつかせる事で、テオドラムの焦りと、テオドラムからの民心の離反を狙っておるのか……? ふむ。これならば亜人どもの思惑とも一致する。あわよくばテオドラムを乗っ取るつもりか……)
途中までは正確にクロウの思惑を看破していたが、最後の詰めで大きな誤解をしてしまったヤルタ教教主。彼の思索は一体どこまで迷走するのか。
夜はまだ長い。




