第九十九章 王都イラストリア 3.国王執務室(その3)
砂糖。
此の度の五月祭における最大の衝撃。こちらの大陸では入手が困難なそれを、しかもテオドラム糖を上回る品質のものを惜しげもなく果実水やハーブティーに投入し、一杯僅かに半銀貨一枚という安値で提供したという。
「にわかには信じられぬ話じゃが……」
「残念ながら、果実水の現物ってぇ証拠がありますからな」
「果実水一杯を運ぶのに飛竜を用いたと聞いた時には正気を疑ったが……」
「私見ですが、それだけの価値はあったと思います」
「確かに。分析の結果、使われている砂糖が舶来糖に優るとも劣らぬ品質であると証明されたのであったな」
「テオドラムは大慌てでしょうな」
「恐慌に陥っていなければ、褒めるべきでしょう」
ざまぁ感が場を支配しそうになったが、ウォーレン卿が冷や水を浴びせる。
「ですが、これもビールと同じく、亜人たちの生産能力が不明です。生産能力の数値次第ですが、テオドラム糖が直ちに存在感を失う事はないでしょう」
「エルフたちの製造能力はそう高くない、そう言いてぇのか?」
「恐らく。もしも充分な量を供給できるのなら、それらを一気に市場に流すという手段もとれた筈です。それをしなかった以上、何か理由がある筈です。製糖能力が低いというのは、その説明の一つです」
「一つというと……他にもあり得るのかな? ウォーレン卿」
「ビールの件も併せて考えると、②亜人がビールや砂糖を提供できる事を一般民衆に周知させたかった、③流通網や販売網が混乱するのを嫌った、④充分な量を備蓄する前に急遽動かねばならない理由があった、こんなところでしょうか」
「ふむ……ウォーレン卿はどれが本命だと思う?」
「どれが、というのではなく、どれもが理由でしょう。ただ、強いて言うなら四番目にはあまり重きを置く必要はないかもしれません。偶々五月祭が近かったので利用した、そんなところではないでしょうか」
さすがはイラストリアの懐刀と呼ばれるウォーレン卿だけに、クロウの思惑をほぼ完全に読み取っていた。
「寧ろ注意すべきなのは、亜人たちがこういう遠回しな手を打ってきた事でしょう」
「……確かに、エルフらしくも獣人らしくもねぇな。Ⅹの差し金ってわけか」
「亜人たちがテオドラムに仕掛ける理由としては、例の傀儡兵の一件くらいしか思い当たりません。ところが、我々がその情報を入手してからでさえ半年ほど経っています。いくらなんでも、彼らが我々より半年も遅れて情報を入手したとは思えません。とすると、彼らがこれまで鳴りを潜めてきたのは、然るべき計略、いえ戦略があっての事でしょう。ならば、五月祭でのお披露目は充分な計画の下に行なわれた筈。ビールや砂糖の量に不足があったとは思えません。これが四番目の説明を推しにくい理由でもあります」
傀儡兵の情報を半年前に入手していたイラストリアなればこそ、半年というタイムラグの存在に気付く事ができた。その事を知らないテオドラムとの差がここに現れていた。
「……ウォーレン、亜人の思惑は何だと思う? なぜ、こんな遠回しな手を打ってきたんだ?」
「あくまで想像に過ぎませんが……嫌がらせを兼ねた宣戦布告ではないでしょうか」
「嫌がらせだぁ?」
「そういえば先程も言うておったな……」
完全に意表を衝かれたという表情のローバー将軍。他の二人も似たような表情である。
「テオドラムは仮にも一国。国家をなさない亜人たちがまともに争える相手ではありません。ならば、正面切っての戦いではなく、じわりじわりと甚振るようにテオドラムの国力を削っていく。そういう方針を採ったのではないでしょうか」
ウォーレン卿の発言に、難しい顔で考え込む三人。そういう不正規戦をとられたら、一国であっても対応するのは難しくなる。まして砂糖という歳入の基盤を揺さぶられるとなると……。
「確かに……どちらかというと直情的な亜人たちの戦ではないな。まず間違いなくⅩめが関与しておろう」
「てぇと……Ⅹのやつぁ直接対決を避けたって事か? ガチでやりあっても好い勝負だと思うんだが、なぜだ?」
「さぁ……戦乱の被害が周囲に及ぶのを嫌ったのかもしれません」
「だとすれば、Ⅹめは王たるに充分な度量の持ち主ですな」
「ふむ……共に語るに足る相手か……」
自分の与り知らぬところで、妙な具合に高評価をもらっているクロウであった。




