挿 話 ビアガーデン顛末~サウランドとバンクス~
今回は挿話です。次回は本編に戻ります
五月祭も恙無く終わり、店を出していた商人たちも三々五々に町を出発しようとしていた頃、サウランドの町の一画に、何かを期待するかのような顔付きの男たちが集まっている場所があった。
「なぁ、エルフの旦那。もうサウランドを発つのか?」
「あぁ。いい商売をさせてもらった。機会があればまた寄りたい町だな」
「そうか……ところでな、あんたたちが売っていた『ビール』だが、ひょっとして少しくらい売れ残りが出たりしなかったか?」
男たちの狙いは明らかである。
エールなど日保ちのしない食品は、持ち帰っても変質して食べられなくなるので、市が終わって売れ残った分は安い値段で叩き売られるのが習わしになっている。所謂見切り品というやつだ。ビールもその例に漏れない筈だと踏んで、売れ残ったビールを安く手に入れようというのだろう。
しかし、この事はエルフたちも読んでいた。というより、こういう申し出がある事それ自体が、ビールの宣伝の最後の一手となるように仕組んでいたのである。
サウランドのビアガーデンで店長を務めた若い――若く見える――エルフの男は、我が意を得たりという表情で、しかし声だけは気の毒そうに、集まってきた男たちに告げる。驚くべき、そして無慈悲なビールの特性を。
「気の毒だが、このビールの最大の売りは日保ちなんだ。保管方法さえ適切なら、樽詰めのまま数ヶ月は保つ。安売りをする理由は無いんだ」
信じられない答えを聞いて呆然としている男たちを尻目に、亜人たちとビールを乗せた馬車はサウランドの町を発った。
・・・・・・・・
サウランドと同じような光景はバンクスでも見られたが、こちらはその後の展開が少し違っていた。
「数ヶ月は保つじゃと!?」
「あくまで保管方法が最適の場合だぞ? 場合によってはそれよりも短くなるそうだ……というか、あんた方の場合、日保ちなんか意味が無いんじゃないのか?」
樽一つくらい一晩のうちに空にしそうなドワーフたちを前に説明しているのは、若い獣人の男性。彼はこのバンクスの町に出店したビアガーデンの責任者である。
「そうかもしれんが……一応聞いておこうかの」
「何のために……という質問は聞くだけ野暮だな。あぁ、まず直射日光を避けて、冷暗所で保管する事。特に温度は大事だ」
「あの、冷えたビールは美味かったのぅ……。冷やす手段は教えてはもらえんのか?」
「俺たちも借り物の魔道具を使っただけだからな。よく解らん」
「そうか……まぁ、そこは我慢するしかないか」
「いや、今後の事を考えたら、冷却の方法は手に入れておく必要がある。学院へ戻ったら、エルフたちに聞いてみよう」
「冷やす事は解った。他に何がある?」
「樽を揺らすのは禁物だ。味が落ちる。運んだ場合も、最低で丸一日は落ち着かせた方がいいな」
「むぅ……。それでは王都へ持ち帰るのは難しいか」
「ここで飲んでしまうしかないじゃろうな。残念じゃが」
「うむ。実に残念じゃ」
「まっこと、残念じゃのぅ」
そう言うドワーフたちの表情は、口調とは裏腹に、理論武装が可能になった事の喜びに輝いているのだが。
「で、残ったビールは売ってもらえるのじゃな?」
「そりゃ……こっちも商売だからな。けど、安売りはせんぞ?」
「構わん。あるだけ売ってくれ」
「あるだけっても……あんた方が景気よく飲んじまったから、残っているのは大樽一つ半くらいだぞ?」
五月祭があと一日、いや、半日あったら確実に売り切れ御免となっていた。そんな勢いでドワーフたちが――それでも彼らにしては控えめに――消費したため、ビールの残りは他の町に較べて大分少なくなっていた。それでも、ドワーフたちは残ったビールを全て買い取り、満足してそれを運んで行った。多分今夜中に空になるんだろうな、そんな事を考えながら、獣人の男は最後の客を見送っていた。
「おい、ワル、残りのビールを売っちまったのかよ?」
「情けない顔をするな。一応は商売なんだから、売らん訳にはいかんだろう」
「けどよぉ……今晩からは落ち着いてビールが楽しめると思っていた矢先に……」
「おい……これがあの国に対する作戦行動の一環だってのは解ってるのか?」
「解っちゃいるが……それとこれとはよぉ……」
情けない顔をして訴える獣人の男。見れば他の面々――それこそティースタンド勤務の女性陣まで――哀愁を漂わせてこっちを見ている。恨めしげな視線が痛い。
「仕方ないな……一応、小樽五つ分は確保してある。全員で分けても、今夜一回分くらいはあるだろう」
ワルと呼ばれた獣人の男の声に、わっと歓声が上がる。部下を使うという事は、こうした福利厚生面にも気を回す必要があるという事だ。クロウが作成したマニュアル――経営者用――の通りにしておいた事で難を逃れたワルは、異国の偉大なる賢者――クロウの事――に胸の内で深い感謝と畏敬を捧げるのであった。




