第九十七章 五月祭(楽日) 6.パートリッジ邸(その2)
パートリッジ卿が卓上のベルを鳴らすと、盆を抱えた使用人が入って来た。その上に乗っているのは……どうやら砂糖のようだ。少量が皿に盛られている。その他にも幾つかの小壺が乗っているが?
「クロウ君。先程少し話に出たハーブティじゃが、各々に砂糖を一杯入れてくれたそうじゃ。これはうちの使用人が、何とか店の者を誤魔化してくすねて来たものじゃがな」
テオドラム兵だけでなく商人の一部も砂糖に目を付けるだろうと予測はしていたからな。砂糖をくすねようとする奴らがいても放置しておくように言っておいたんだが……御前のところの使用人もか。
「僕のところの料理人もちょろまかしてきたんだが、主たる僕には味見程度しか寄越さなくてな。知り合いのところに持ち込んで調べてもらうんだとか言って……」
おお!? ルパのところの料理人は情報収集の面でも優秀だな? 上がアレだから、下がしっかりするのかね?
「クロウ君、済まんが、少し味見してくれんか?」
「では、失礼して」
俺は尤もらしく匂いを嗅ぐ。直接嗅ぐんじゃなくて、砂糖の上にかざした手を振って空気を煽ぐようにして匂いをかき寄せる。化学薬品なんかの臭いを確認する時の手順だな。だが、これといった匂いはしない。
次に、小指の先に付けた砂糖を舌に乗せる。口の中に甘味が広がるが、精糖がしっかりしているから雑味は無い。現代日本で売られている砂糖にも劣らない品質だ。
「雑味も癖も全く無い、甘味だけですね。調味料としては最上のレベルでしょう。しかし、雑味が無いだけに、何を原料としたのかは判りませんね。ルパの料理人の伝手に期待するしか無いのでは……?」
「ふむ……クロウ君の故郷の砂糖もこれと同じようなものかね?」
お? これは引っかけかな? 慎重に答えないとな。
「砂糖を使った料理を食べた事はありますが、砂糖そのものを見る機会は多くないので……ただ、普通見る砂糖はここまで白くありませんね。白い砂糖を見た事はありますが、見かけはこれと似たようなものでした」
「ふむ……クロウ君もさすがに砂糖は首尾範囲外か」
「民間で使われている薬草なんかが主ですしね」
「ふむ……じゃが、砂糖についても少しは知っておるのじゃろう?」
「知識程度には」
「ふむ」
そう言うと、御前は卓上の盆ごと俺の方に押しやった。
「御前?」
「左側の壺はテオドラムが売っておる砂糖、右側の壺は舶来品の砂糖じゃ」
「味見させて戴いても?」
「うむ。さっきの砂糖と較べてみてくれんか」
テオドラムの砂糖は、以前味見したものと同じ甜菜糖だな。精糖が雑なのでえぐみや夾雑物が抜けていない。舶来品の方は……これは俺たちが造った砂糖とほぼ同じか。きちんと精糖されていて、雑味も夾雑物も無い。原料までは判らないな。鑑定の魔術を使えば判るかもしれんが、人前で魔術は使いたくない。
「テオドラムの砂糖は青臭さというか雑味が抜けきっていませんが、舶来糖の方はさっきの砂糖と同じような感じですね」
「原料の検討はつかんかね?」
「さすがにそこまでは……」
ここでルパが話に入ってくる。
「クロウ、砂糖の……というか、甘味の原料として考えられるものは何だ?」
「読んだり聞いたりした知識だけだぞ? 蜜蜂など一部の昆虫が分泌する蜜を除けば、甘味料の原料は基本的に植物由来だ。秘匿されているものも多いから、俺が知っているのは一部に過ぎんが……南方に自生する植物が多いようだな。草の他に、一部の樹木の樹液なども原料にされることがあるらしい」
サトウヤシやサトウカエデなどの樹液も製糖原料になるしな。
「発芽させた小麦を煮て甘い汁を得るとか……」
水飴の事だ。
「他には……昔はツタの樹液などからも甘味料を得たらしいな」
甘葛というやつだな。
「ツタというのは初めて聞いたな」
「効率は酷く悪かったようだぞ?」
「具体的な作物については知らないのか?」
「迂闊に探ると首が飛びかねないしなぁ……だが、栽培という事を考えると、樹木ではなくて草なんじゃないか?」
「成る程。他には?」
「単価から推定すると……そこまで栽培が面倒なものとも思えん。高いとは言え、少し無理をすれば庶民でも買える程度の価格なんだしな」
「「ふむ」」
「多分だが、樹液か搾り汁を煮詰めて造るんだろうから、効率を考えると甘味成分を溜め込んでいる部位がある筈だ。果実という事も考えられるが……イモか……あるいは根っこのようなものも有り得るな」
サトウキビではなく甜菜の方にイメージを誘導してみようか……。
「ふむ……実はのう、クロウ君。件の茶屋は、そしてビールの店も、エルフや獣人が仕切っておったそうじゃ」
「なので、僕たちは樹木が怪しいと思っているんだが……」
おぉ……そう来たか……。
「確かに、寿命の長いエルフなら、特定の種類の木を畑のように栽培する事もできるとは思いますが……」
「エルフが今頃になって初めて砂糖を持ち出したのは、甘い樹液を出す木の生育に時間がかかったためではないかと僕たちは考えているんだが」
ほほう……しかしまだ突っ込みが甘いな。
「獣人はそこにどう関わってくるんだ?」
「いや……そこはよく判らないんだが……」
「御前、エルフと獣人が仕切っていたと仰いましたが、そういう事は珍しくないんですか?」
「少なくとも、エルフと獣人が共同で店を出したなど、儂は今回初めて聞いたのう」
「では……エルフと獣人が共同しているとなると、他の地域のエルフと共同している可能性もある訳です。南方のエルフたちと交易して入手した可能性は?」
「しかしクロウ、そう考えてもエルフたちが利用している原料を特定する助けにはならないぞ?」
「あぁ。しかし、対象を樹木だけに絞って作物を除外するのは拙いと思う」
「う~ん……そう言われると、そうかもな」
「獣人が原料を教え、エルフがそれから砂糖を造った可能性だって有り得るしな」
「「う~む」」
「ビールにもエルフや獣人が関わっているとなると、それらを今回初めて持ち出した理由に、砂糖の原料となる樹木の生育を挙げるのはどうかと思う。何か他に理由があるんじゃないか?」
さて、このくらい暗示しておけばいいかな?
・・・・・・・・
一頻り追及が終わったところで、召使いが俺たちを呼びに来た。明日は俺がバンクスを発つという事で、御前が送別の膳を整えてくれたようだ。ありがたく御馳走になる事にする。
「またしばらくのお別れじゃな」
「なに、同じ国にいるんですから、ひょっこり会う事もありますよ」
「おお、そう言えば昨年は王都で偶然に出会ったのじゃったな」
しんみりとした様子から一転して愉快そうな口調になった御前を羨むように、ルパが口を挟む。
「クロウが王都にいると知っていたら、僕も同行したんだが」
「いや、俺だって偶々訪れていただけだからな」
淋しさを感じさせることなく、和やかな別れの宴が続いてゆく。




