第九十六章 五月祭(中日) 5.ピット
「案の定、本国に報告が行ったか……」
ピットで配下たちからの報告を受けたクロウが呟いた。ビールと砂糖の件を察知次第、エールの酒場から報告が行く事は予想されていた。ならば、そこに諜報担当のモンスターを配置しておけばいい。テオドラムにはモンスターが棲息していないため、諜報員もモンスターの気配には疎い筈……まず気付かれるような事はあるまい。クロウはそのような判断に基づいて、サウランドとリーロットに配下を潜入させていた。ニルの町で実績を上げた斥候職のアンデッドと潜入に長けたモンスター――今回はシルエットピクシーとケイブバット――の組み合わせである。サウランドにはバート、リーロットにはニールが、それぞれテオドラム軍で斥候を担当していた下士官たち――クロウが頑張って復活させた――とともに潜入していた。当然、見張るのはテオドラムのビアガーデン――提供しているのはエールだが――である。テオドラムは自分たちに都合の良い諜報拠点を手に入れたが、それは余りにも露骨に過ぎたため、各国の諜報員の監視やカウンターインテリジェンスの場ともなっていた。テオドラムもそれは承知しており、寧ろ各国のエージェントを誘き寄せる場所として使っている節もあった。狐と狸の化かし合いだが、ここへクロウが――彼らの想像の埒外である――諜報モンスターというカードを手に、密かに参入していたのである。そして、現在のクロウには、もう一枚切れる札があった……。
「怨霊の諜報員も健闘しているようだな」
「あれだけの熱気なら、動かずに潜入する分には問題無いようですね」
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人間――少なくともこの世界の人間は、弱いながらも常時魔素を放出している。訓練を受けた魔術師ならいざ知らず、一般の人間の場合、その放出量は感情の昂ぶりに左右される。一人一人が放出する魔素は微弱とはいえ、百人以上の人間が集まって浮かれ騒ぎ、時に喧嘩も勃発するビアガーデンなら、強化された怨霊がじっと潜んで時々密かに徘徊するのに必要な程度の魔力は充分に回収できた。予備実験でこの事実を確認したクロウたちは、直ちに強化した怨霊による諜報部隊を編成。ホルンたちの了解を取った後で、ビアガーデンとティースタンドに赴く亜人たちに――魔石付きで――同行させたのである。従業員たちが慣れるのにしばらく時間はかかったが、クロウの指示だと聞くとなぜか全員が文句も言わずに納得していた。さも当然のような顔をして。
そして、初日の午前中に怨霊たちが問題無く活動できたのを確認したクロウは、予定どおり斥候職のアンデッドに怨霊をつけて、テオドラムの酒場に潜入させたのである。念のために、帰還用の転移トラップは斥候職が便所の裏に設置したのだが……聖属性の魔石を与えられた怨霊たちは邪気が感じられなくなっており、客として訪れた――いいのか?――司祭たちも怨霊に気付かなかったのは予想外の効果だった。
「すぐ後ろにいるんだがなぁ……」
「酔っ払ってるのもあるんじゃないですか?」
「そうかもしれんが……それでいいのか、聖職者」
「あ……あの怨霊、調子に乗って後ろで踊ってますよ」
「それでも気付かないなんて……」
「あ、さすがに止めましたね」
「巫山戯たんじゃなくて、どの程度気配を隠せるのか確かめたみたいだな……やり方はアレだが」
帰還用の転移トラップから目を逸らさせる囮も兼ねて、数箇所に仕掛けた撮影用の魔石――目立たないように一応は認識阻害の魔法が仕掛けてある――には、結構ノリノリの怨霊の姿が映っていた。最終日まで気付かれなかった場合、斥候職のアンデッドたち――一応だが変装はさせている――が閉店前に回収する手筈になっている。
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斯くいった次第で、リーロットのテオドラム酒場の店長室に楽々と潜入した怨霊は、幸運にも店長が通信の魔道具で本国と通話している現場に行き当たり、会話の一部始終を聞き取る事に成功していた。サウランドの店長室に忍び込んだシルエットピクシーも、本国との緊急連絡の内容を聞き取る事に成功している。それらの成果が、冒頭のクロウの呟きに繋がったのである。
「サウランドとリーロットの酒場に潜入したモンスターや怨霊の報告を纏めるに、テオドラム本国は砂糖とビールの件を知ったようだ。今頃は大慌てで善後策を協議しているだろう。現場に指示が来るのは明日だろうな」
「指示、ですか?」
「あぁ。俺なら亜人たちの帰路を襲って、可能なら全員を拉致する。そして砂糖とビールに関する情報を聞き出す……必要なら傀儡に変えてもな」




