第九十六章 五月祭(中日) 4.テオドラム王城
イラストリアに出店したエール酒場からの急報を受けたテオドラム王城は、前代未聞と言ってもいい大混乱に陥った。これに較べればシュレクの異変など可愛いものだった。なにしろ今回は、テオドラムという国の収益基盤が脅かされようとしているのだ。国務卿たちが恐慌に陥るのも無理からぬ話である。
「見た事もないエールだと!?」
「エールなどどうでもよい! 問題は砂糖だ!」
「どこから入手したというのだ!?」
「一刻も早く出所を突き止めて対処せねば、我が国の優位が崩されるぞ!?」
「静まれっ!」
混乱して口々に喚く国務卿を尻目に、ラクスマン農務教が強い口調で叱責する。取り乱していた国務卿たちが、一瞬で静まりかえるほどに。
「方々はエールの件を軽視しておられるようだが、事はさほどに簡単ではない。サウランドにおけるエールの独占体制が崩れるという事は、彼の地に築いた諜報拠点が使えなくなるという事。ヴァザーリに続いてサウランドの拠点を失うような事になれば、我が国が外に伸ばした諜報網に綻びが出るという事にお気づきか?」
テオドラムは自国が国際的に孤立気味なのを自覚している事もあって、諜報活動に力を入れていた。他国の諜報活動が軍事政治に偏りがちなのと違い、テオドラムの諜報部門は経済や流通という方面の情報も遺漏無く収集しており、他国の国力を把握する事においては一頭地を抜いていたのである。その重要な情報収集拠点の一つが潰されようとしている。いまここで手を拱いていれば、いずれ他の国にも新しいエールとやらが流れ、その地の拠点も実効力を失う事になりかねない。砂糖は経済基盤に打撃を与えるかも知れないが、新しいエールとやらはテオドラムの諜報能力に打撃を与えかねないのだ。
「ヴァザーリに続いてサウランドか……。リーロットに新たな拠点を築くのも、今のままでは難しかろうな……」
護衛に付けた兵士に馬鹿がいて、リーロットの住人から決定的に反感を買ってしまったらしい。客は一人もやって来ない、物乞いすら避けて通ると報告してきた。
「ジルカ卿には何か思うところがおありかな?」
レンバッハ軍務卿が幕僚である軍需卿の様子に引っかかりを覚えて問いかける。
「いや……イラストリア内の拠点が立て続けに潰されたのが、ちょっとな」
「イラストリアが糸を引いていると?」
「そう決めつけられんのが悩ましいところでな。抑ヴァザーリの一件は亜人どもとの対立が原因とか。そして此度の一件でも、やはり亜人どもが動いておる」
「ふむ……両者が手を握っておるという事は?」
「考えられぬではないが、証拠も無い。抑、そう考えたところで問題は簡単にはならん」
「ついでに言えば、シュレクのダンジョンの事も忘れてはなるまい」
唐突に二人の会話に割って入ったのはラクスマン農務卿であった。
「シュレク……あのダンジョンがエールと砂糖に関わっておると?」
訝しげな……というよりあからさまに疑わしげな視線を向けられた農務卿は、しかし怯みもせずに自説を開陳する。
「馬鹿馬鹿しく聞こえる事は解っておる。しかし、ヴァザーリに現れたというモンスターの事を考えると、どうしてもシュレクのダンジョンの事が引っかかるのだ。いずれも『見た事も無いスケルトンモンスター』であったという点がな」




