第九十五章 五月祭(初日) 2.サウランド
グレゴーラムからやって来たテオドラムのエール商人は、五月祭の会場に開設したエール酒場――臨時に設置されたビアガーデンみたいなもの――で首を捻っていた。五月祭もまだ初日だし陽もまだ高い。そう気にする事もないだろうが、売れ行きが例年より悪いような気がしているのである。
とは言っても、別に閑古鳥が鳴いている訳ではない。ちゃんと座席は埋まっているし、相応に客も訪れている。だが、例年よりも少しだけ、客の動きが悪いような気がする……。
「考え過ぎですよ、店長。エールを飲みたきゃ、ここに来るしかないんですから」
テオドラムは国内外の大きな交易都市、あるいはその近くに、大規模な国営酒造所を建てており、自国産の安価な小麦を原料にしたエールを低価格で大量に供給する事で、標的とした都市の酒造産業をほぼ駆逐する事に成功していた。運送費はかかるものの、薄利多売によって収益を上げ、運送コストを相殺していたのである。なにより一旦競合相手を駆逐してやれば、その後は価格を恣意的に決定できるため、初期に多少の無理をしても投資額を回収できたのだ。国という巨大資本が――表向きはどうあれ――後ろについている以上、弱小の民間醸造所に太刀打ちできよう筈もなかった。
無論の事、当該都市や国から正式な抗議がなされたが、民間業者の経済活動を国家が妨害するのかと反論されると、口を噤まざるを得なかった。醸造所は国営であっても、それを扱う商人は――表向きだけとはいえ――民間業者の体裁をとっているのだから。
テオドラムがこのような阿漕な嫌がらせ――と一般には見られている――をしたのは、衆目の見るところとは違って、情報収集のためである。古来酒場は情報収集の場として重要であるが、そこに一々諜報員を配置しておくのも色々と面倒が多い。いっその事自前の酒場を建ててやれば、そしてそこに客が集まらざるを得ないようにしてやれば。そういう、多少ぶっ飛んだ発想から、この計画は遂行されたのである。計画は成功し、テオドラムは都合の良い情報収集――軍事情報などではなく、主体は経済情報――の拠点と、当該都市の飲食産業に対する無視できない影響力を手に入れていた……この日までは。
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日が暮れて呑兵衛たちの動きが本格的になった頃、店長は昼前に感じた仄かな違和感を、今やはっきり異変として自覚していた。抑、今回は売れ残りの小麦を消費するという目論見もあって、エールの値段を安めに設定している上に、大量に運び込んだエールを売り切るために様々な割引特典なども用意している。例年よりも売れて然るべきなのに、蓋を開けてみれば売れ行きは寧ろ例年よりも悪い。何らかの原因がある筈なのだが、予想より少ないとはいえ客が入っている現在、調べに回す人手は余っていない。
「仕方がない。今夜はこのまま乗り切るとして、明日の昼頃には何人かを視察にだそう。うちの客がどこに流れているのかを確かめなきゃならん」
「何人ぐらい回しますか?」
「二人組を三組か四組。ただし、同時にではなく時間をずらして出そう」
「解りました」
「あ、それから、今夜来ている客の会話にも注意しておけよ? 何かヒントが含まれているかもしれんからな」
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店長の指示が功を奏して、「今まで飲んだ事も見た事もないエール」の噂を店員――その正体は、一応テオドラムの諜報員――が拾ってくるのは、この少し後の事である。




