第九十五章 五月祭(初日) 1.バンクス
五月祭の初日、俺はライとキーンを懐に忍ばせて祭り……というか出店を見物していた。ルパあたりを誘って見て廻ろうかと考えていたんだが……。
少し前にルパと一緒に御前のお屋敷に招かれた時、五月祭の事が話題に上った。二人が口を揃えて嫌そうに言うには、五月祭の時期には他の町から訪れた貴族をもてなすために屋敷に詰めているか、訪問客を案内して五月祭を見て廻るかで、勝手気ままに見て廻る時間は無いらしい。ここバンクスは貴族の領地でなく自由都市なので、通常は領主が行なうべき接待というか社交業務が、御前やルパのような「貴族社会の一員」に廻ってくるようだ。面倒ではあるが、これを疎かにするとバンクスという町そのものの評価に関わってくるので、町の有力者たちからくれぐれも宜しくと釘を刺されているのだと、二人はげんなりした口調で説明してくれた。
『しかし……結構な人出だな』
『でも、マスターの世界の「ハツモウデ」とかいうのには、及ばないんじゃないですかぁ?』
『いやぁ……好い勝負なんじゃないか?』
ここバンクスの五月祭では、山から採ってきた若木の枝を祭壇に飾って、その周りを踊るんだそうだ。俺が寝坊している間に若枝を飾る儀式は終わったが、山の精気を纏った若枝の力を分けて貰うために住人がその周りを輪になって踊るのは、三日の間随時行なわれるそうなので、これは見ておきたい。小さな村などでは村人全員が輪になって踊るそうだが、バンクスのように大きな町では住民の代表者が踊るんだという。尤も昨今は、見栄えを優先してか、旅役者の一座などを招いて踊ってもらうような事も多いようだ。祭りというのはどこでも同じような道を辿るんだな……。
新年祭の時と同様に撮影用の魔道具を起動し、めぼしい食べ物があれば購入しているのだが、何しろ人が多いために目に付かないように転移するのが一苦労だ。次善の策として携帯ゲートの使用を試みたのだが……菓子の類ならともかく串焼きを懐に仕舞い込むのはどう考えても不自然だ。結局は人目の無い所に移動するまではゲートを使うのも難しく、期待したほどには使えなかった。まぁ、最初からこういう使い方を想定していた訳ではないからな。
『人いきれが凄いですね、マスター』
『暑ぃですぅ』
『あぁ、そのせいか飲み物を売っている店も結構見かけるな』
『あっ! マスター、あの店、人だかりが凄いですよ!』
『本当だな……って、あの制服……』
『あ、お茶屋さんですぅ』
『初日から凄い集客力だな……』
『行ってみますか? マスター』
『いや……よしとこう。あの人混みに入り込んだ日には、お前たちペチャンコにされかねんぞ』
『あり得ますね……』
・・・・・・・・
人混みに埋もれたティースタンドをサクッとスルーして先へ進む。一時間ほど歩くと、再び客が殺到している店に出くわした。さっきのティースタンドは女子供の客が目立ったが、こっちは対照的に男の客ばかりが集まっている。
『何の店か予想がつくな……』
『ビィルのお店ですねぇ』
『まだ陽も高いうちから酒かよ……』
異世界の住民のために一言述べておくと、彼らとて普段ならまだ陽も高いうちから酒場へ繰り出すような真似はしない。今回は五月祭という事で羽目を外しているのと、何よりもビールという酒が珍しかったためである。単に苦みが強いというだけなら、エールにもそういう風味のものが無い訳ではない。しかし、それに加えてよく冷えた炭酸系の酒というのは過去に類例が無く、物見高い連中が挙って注文するのも無理からぬ事であった。
『うわぁ……熱気が凄いですねぇ』
『売ってるのは冷たい飲み物の筈なんだがな……』
まさにその「冷たい」という事が人だかりの一因なのであるが、現代日本人であるクロウにはそのあたりが今ひとつ理解できていない。この世界で冬以外の時期に冷たいものを摂ろうと思ったら、氷室などで保管していた氷で冷やす、あるいは魔法か魔道具で冷やすしかない。氷室の利用など普通の庶民には縁が無い。冷却の魔法を使える魔術師は数が少ない上に、そもそも飲食物の冷却などを請け負う事が無い。魔道具なら可能性はあるが、魔力と高度な知識を持っていないと製作が難しいし、買おうとしたら目の玉が飛び出そうな金額を払う事になる……本来は。
亜人たちは、クロウが何気なく提供した「氷室」――その実態は携帯ゲートとダンジョンマジックを利用した冷凍庫――と保冷の魔道具によって苦も無くこの問題をスキップしているが、本来なら国が乗り出してもおかしくない技術革新である。ちなみに、テオドラム本国へ送られた報告では、砂糖とビールの件を重視するあまり、温度については記載してないか、ごく簡単に触れてあるだけであった。なのでテオドラム本国でも、この問題はすっぱりと意識から抜け落ちていた。
『……あの一画は特に盛り上がっているな』
『小柄なおじさんばかりですぅ』
『あ、ドワーフですね』
ドワーフ!? やっぱり実在したんだ……。
クロウたちが目を向けた一画では、五~六人の小柄で毛深い……要するにイメージどおりのドワーフたちが、これまたイメージどおりにメートルを上げていた。何か話しては歓声を上げてビアマグを打ちつけ、ゴッゴッという擬音が聞こえてきそうな勢いでマグを空ける。テーブルの上に小樽が一つあり、テーブルの下に更に二つほど転がっているところをみると、現在三個目の樽を攻略中という事なのだろう。
『開幕早々に小樽三つが空か……量は大丈夫なのか?』
心配になったクロウだが、ドランのエルフたちにとって同じ呑兵衛であるドワーフたちが絡んでくるのは想定内。かれらが出現するとなると、王都からもドランの村からも比較的近いこのバンクスだろうと読んで、ここには特に多くのビールを割り当てている。多少余ったところで、ホップを使ったビールは従来のエールとは比較にならないほど日保ちがいい。問題は無かった。
「さて、名残惜しいが、そろそろ腰を上げるとするかの」
「そうじゃな。こんな美味い酒を儂らだけで独り占めしては……そうしたいのは山々じゃが……酒飲みの仁義にもとるからのぅ」
「何より、このエー……ではのぅて、ビールじゃったか? こいつが評判になれば、他の町でも売られるようになるかもしれんしのぅ」
「うむ。ドワーフが酒の商売の邪魔をする訳にはいかんわぃ」
「店主。明日また来るでな」
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
意外にも物分かりのよい所を見せたドワーフたちは、満足したせいか足取りも軽やかに去って行った。
『明日また来ると言っていたな……』
『どうかしましたか? マスター?』
『あぁ、明日また来るという事は、今夜は来ないという事だろう? 酒場の営業本番は夜だと思うんだが、それを避けたという事は、自分たちが長居して店の営業に差し障りが出るのを憚ってか?』
『……意外に気配りができるんですねぇ……』
『あぁ、てっきり根が生えるんじゃないかと危惧していたんだが……』
まぁ、酒が無くなる前に落ち着いて飲む方を選んだという可能性もあるが……。
『……ともあれ、ティースタンドもビアガーデンも、上々の滑り出しだな』




