挿 話 蒸溜酒
四月も終わりに近づいたある日、俺はオドラントの試験場で蒸留酒の味見を行なっていた。半年ほど寝かせてはいたが、まだ熟成と言うにはほど遠い段階だ。それでも蒸溜直後に感じた異臭はあらかた取れたと判断したので、本格的な熟成に回す事にする。半数は熟成期間短縮のため、超音波による熟成を試してみるつもりだ。
と、口で言うのは簡単だが、実際には味の確認だけでも一仕事だった。何しろ、酒のためなら人生賭けますとでも言いそうな呑兵衛――主にカイトとギル――どもにせっつかれて、数種類の原料で蒸溜酒を仕込む羽目になったのだ。ダンジョンマスターとして、使役者として、これでいいのだろうかという思いが胸をよぎるが、俺自身興味が無い訳ではないしな。今回仕込んだのは、ジャガイモ――正確には地球産のジャガイモに似たこの世界の作物だが、面倒なので以後ジャガイモと称する。以下同様――を始めとして、トウモロコシ、小麦、ライ麦、リンゴ、廃糖蜜の六種類である。原料は自分たちで調達しろと言ったら、ニールたちまで巻き込んで、わざわざテオドラム国外まで出かけて行って買い集めてきた。酒のためなら努力を厭わん連中だよな。廃糖蜜は俺が用意したんだが。
厳密に言えば、それぞれ焼酎やウィスキー、カルヴァドス、ラムなどになるんだろうが、俺もそこまで製法に詳しい訳じゃない。面倒臭いので、造り方は全部同じにしておいた。そのうち杜氏の怨霊でもリクルートできたら任せるとしよう。
ちなみに、今回の味見に呑兵衛どもは呼ばなかった。それどころか、味見の件自体話してもいない。うるさく強請られるのが見えてるからな。
さて、問題の超音波熟成だが……今回採用したのは蒸溜酒の中にオーク材のチップを入れて数日間超音波を当てるという方法だ。何でも、超音波の働きで水やアルコールの分子がよく解れて均一に混ざり合うんだとか。また、音波により形成された小さな泡が爆発的に破裂する事でオークチップの組織が破壊され、漏れ出した何かの成分が味に影響するんだとも。理由はよく解らんが、上手くなるのは事実らしいから、俺としてはそれで充分だ。アルコールの度数や通気条件などによってできあがりの品質に差が出るそうだが、そこまで凝った真似をやってられるか。アンデッドか怨霊に希望者がいたら任せてもいいんだが……。
参考にした資料はウィスキーなどの洋酒を熟成するものだったが、イモ焼酎にオークチップを加えるというのもおかしな気がするな……。焼酎の熟成法としては木樽に詰めて寝かせるというのもあるらしいが……今回は差別化を図るため、オークチップを入れずに処理してみるか。
以前に作った超音波発振機に少し手を加えて、熟成用に調整する。あとは数日間超音波を当てておくだけだ。さて、どうなる事やら。
あ、ちなみに錬金術のエイジングも試してみたんだが、こちらは上手くいかなかった。どうも、酒の熟成にはアルコール分子のクラスターが壊れる以外にも多くの反応が関与しているらしく、エイジングではそれらの反応全てに干渉できなかったのが原因らしい。
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日本時間で五月の一日、少し早いが超音波熟成を試した分を試飲することにした。ヴィンシュタット組を始めとするアンデッドたちをオドラントに招いて試飲会の開始だ。ハクとシュクは未成年だが、他のヴィンシュタット組が全員参加するのに子供二人だけ留守番させるのも何なので、一緒に連れて来ている。後でダンジョンコアたちにも差し入れしよう。
「へぇ……これが熟成された蒸留酒ってやつですかい」
「透明じゃないのね……」
「あぁ、詳しくは知らんが、着色は木樽で貯蔵する事が関係しているらしい。ま、今回は少し手抜きをして熟成を加速してあるが、それでも一応は本来貯蔵するのと同様の条件で高速熟成させている」
「飲んでみていいっすか!?」
「まぁ、そのために集まってもらったんだからな。ただし、強いからがぶ飲みするんじゃないぞ。アンデッドのアルコール中毒なんて、どうやって治療するのか俺にも解らんのだからな」
一言釘を刺しておいて、アンデッドたちに試飲してもらう。あ、ハクとシュクは炭酸飲料な。
「美味っっ!」
「嘘……半年前とは別物じゃない……」
「こりゃあ……何てぇか……」
「刺々しさが無くなって、柔らかい感じになっているな」
「匂いも佳いですね……まるで果物か何かのような……」
以上は半年前に、蒸溜直後のやつを強引に試飲したヴィンシュタット組のコメントだな。
「半年前のやつってのは知らんが……こいつぁ堪らんな」
「喉を通る時は灼けるようだが……口当たりはいいんだよな……」
「強いくせに柔らかいっていうのか……上手く言えんが……」
半年前の試飲に漏れた、ニールたち冒険者組と元テオドラム兵にも概ね好評のようだな。
「自分には少しきついです」
「酒精の香りが強くて、ちょっと……」
「だらしないやつらだ。折角ご主人様が用意して下さったものを……」
「あ、今回はほとんど原酒だからな。一番美味い濃さじゃないかもしれん。強すぎると思ったら、水で割るとか氷を浮かべるなどして、各人で調整しろ」
今回はほぼ原酒のままを飲ませてるしな。どれくらい薄めたのが一番美味いのかは、酒によっても個人によっても違うだろう。三割か四割、あるいはそれ以上加水した方が美味いんじゃないかと思うが……よく判らんしな。水と氷を与えてやると、好奇心からかほぼ全員が水割りやオンザロックを試していた。
「あ……自分にはこっちの方が……」
「成る程、かなり味わいが変わってくるな……」
「それにしても……同じ小麦で造っても、こんなに違う酒になるんだな……」
「小麦とライ麦でも違うぞ?」
「イモやトウモロコシで酒が造れるなんて、考えた事もなかったぜ……」
「このラムってぇのも面白ぇぞ。甘い割に効きやがる」
「リンゴからも造れるもんなんだな……」
「リンゴで造れるくらいなら、ブドウでもできそうなもんだがな」
「造れるぞ? 今回は原料を入手した時期の都合と、大量のブドウを怪しまれずに買い込む算段がつかなかったからやめただけだ。ワインから造る事もできるんだが、割高になるしな」
「あ、そうなんすか?」
「あぁ。澱粉質のものか甘いものなら、大抵は酒にできるからな。馬の乳を原料にした酒なんかもあった筈だぞ」
「馬の乳!?」
「いや……確かに自分も耳にした事はある……」
「その……乳の酒も、やっぱり蒸溜ってぇので強くする事ができるんですかい?」
「……できるんじゃないか? 俺もよく知らんが……」
「飲んでみたいような、飲みたくないような……」
「俺ぁ無理して飲む気はしねぇな。こいつで充分だ」
「……ご主人様、この蒸溜酒ってなぁ、どんくらいあるんです?」
「お前らがこの調子で呑むのなら半年も保たんな」
「「「「「「「「「「えっ!?」」」」」」」」」」
「今から仕込んでも、飲めるようになるのは半年後だ」
「「「「「「「「「「!!」」」」」」」」」」
警告してやると飲むペースが落ちたな。長期熟成用のやつは、最低でも三年は寝かせんと駄目だからな。……強いというだけなら、特殊な膜で濾過することで芳香成分や旨味成分、アルコールなどの濃度を若干高める方法もあるんだが……黙っておこう。
次回は本編に戻ります。




