第九十三章 五月祭の準備 3.追加修正案~ビールと炭酸~
日本時間の四月二十日、オドラントの試験場でクロウが造っていたビールができあがった。カイトたちにやいのやいのとせっつかれたクロウが半ば自棄になって、錬金術の糖化を駆使する事で、なんと小麦粉からのビール醸造に踏み切ったのである。ビールの原料に小麦を使用するのは、小麦自身が持つ酵素によって澱粉を糖化させるためだ。従って、糖化の過程を錬金術で代行するのなら、小麦粉を原料として醸造するのも不可能ではない。しかも、一般的に流通している小麦粉を原料に使う事で、小麦のままを買い集めるよりも注意を引きにくいという利点もあった。原料の小麦粉はニールたち元冒険者パーティが各地を廻って少しずつ購入、馬車の中で携帯ゲートを通じてオドラントに運んだ。
醸造を開始したのが三月の半ばだからまだ少し早いような気もするが、カイトたちの度重なる要望懇願にうんざりしたクロウが、勝手にしろという気になって醸造終了を宣言したというのが実情である。オドラントの試験場に設置した醗酵タンクの容量は、自重を捨てた五百リットル。個人で消費する分量ではないが、五月祭を控えたクロウが万一を慮ってこの量にした。無論カイトたち呑み助陣から苦情が出るわけはない。
「美味っ!」
「くぅ~っ! 堪らねぇな、こりゃ」
「二ヶ月というもの、この時を夢見ない日は無かったぜ」
「美味しいですねぇ」
オーガスティン邸の食堂で好き勝手な事を言いながらビールに舌鼓を打っているのは、カイトたちと使用人一同である。ハクとシュクはおあずけ……にするのも仲間外れのようで可哀相だったらしく、小さなコップに注いでもらっている。
「このシュワシュワする感じが好き。兄さんは?」
「僕も好きかな。ちょっと苦いけど」
ふむ……ハクとシュクは炭酸系の飲料が好みか。こっちでは見かけた事がないし……手っ取り早く錬金術でつくってみるか?
クロウは料理番のアンナに頼んで柑橘系の果物の汁を搾ってもらうと、贅沢に砂糖を入れて――オーガスティン邸の一同が砂糖を怯えずに使えるようになったのはついこの頃である――冷水で溶き、仕上げに錬金術で炭酸ガスを溶かし込んだ。即席のレモネードである。
「ハク、シュク、試しにこれを飲んでみろ」
おっかなびっくりという感じでレモネードに口を付けた少年二人であったが、一口含んだ途端に目が輝く。そのままゴクゴクと一気に飲み切って、ゲップを出して慌てる二人を微笑んで見ているクロウであったが、アンナが興味深そうに見ているのに気付くと、残っていた果汁でもう一杯のレモネードを作ってアンナに渡す。恐る恐るという感じで口を付けたアンナであったが、やはり少年たちと同様の反応を示した。
「……ご主人様、それ、何ですか?」
ビールを片手にマリアが訊ねた。ビールはビールとして確保しつつ、ハクとシュクが美味しそうに飲んでいたレモネードにも興味を引かれたらしい。アンナはクロウに視線で訊ねた後で席を立つ。
「追加で搾ってきます」
「あ、お手伝いします」
何をするのかは判らないが人手があった方が良いだろうと判断したマルタが一緒に席を立ち、厨房の方へと向かった。ハクとシュクはしばらく所在なげにしていたが、こちらもすぐに席を立って厨房へ向かった。
やがてアンナたちが果汁を持って戻って来た。ハクとシュクはコップを運んでいる。クロウは手際よくレモネードを作っていくが、今回砂糖は入れていない。各人の好みで砂糖を加えろと言って、全員に手渡していく。ハクとシュクはお代わりを貰っていた。
「あ、これも美味しいです」
「へぇ……果実水なら飲んだ事があるけど、この炭酸っていうのが入るとひと味違いますね」
「苦みがないから、子供でも飲めそうよね」
「「はい、美味しいです」」
中々好評だな……。
「あぁ、生姜の搾り汁を混ぜても美味いぞ」
クロウの言葉を聞いて物も言わずに席を立ったのはカイト。相変わらずこういう時のフットワークは軽い男だ。しばらく厨房でガンガンゴトゴトという音が聞こえていたが、やがて生姜の搾り汁が入った器を持って戻って来た。どうやら生姜を布で包んで、叩き潰して汁を搾っていたらしい。こっちの世界には下ろし金は無いようだ。後で入手しておこうとクロウは心に刻む。
「随分手慣れてんじゃねぇか?」
「祖母ちゃんがよく生姜湯を作ってくれたからな」
喋りながらも手は休めず、適量の搾り汁をレモネードに混ぜ、味見をしながら砂糖を加えて味を調えるカイト。納得のいく味になったところで……
「みんなも試してみろ。ご主人様の仰るとおり、美味いぞ?」
カイトの薦めに従って、生姜の搾り汁を加えてみる一同。どうやらこちらも全員の口に合ったようだ。
「味わいがかなり違ってくるな……」
「どっちが良いかは好みが分かれるだろうな」
「生姜の量によっても味が変わってくるし、リモネ――件の柑橘類である――を加えない作り方もあるだろうしな」
「普通の生姜湯は冬に飲むと身体が温まるんだが……」
「こんくらい少しなら身体が火照るってほどじゃねぇから、冷やせば暑い日でもいけるんじゃねぇか?」
「身体が火照るって……」
「あ? そういう使い方もしてたぜ?」
「砂糖を入れずに生姜だけで作っても美味いんじゃないか?」
「ジンジャーエールだな。俺の国ではそういうのもあったぞ」
残った生姜の汁を使ってジンジャーエールっぽいものを作ってやると、大人たちが回し飲みを始めた。
「……いけるな」
「甘いのが苦手なやつも、これなら喜んで飲みそうだな」
蒸溜酒を割って飲むやり方もあるんだが……黙っていよう。
「マリア、お前、これ作れねぇか?」
「無茶言わないでよ、カイト。ご主人様と違って、あたしにはこの……炭酸ガスっていうのがどんなものか解らないんだから」
ふむ……。マリアでも炭酸ガスを作るのは無理か。専用の魔道具か何かを開発するのは……できそうだな。
クロウの中で来るべき五月祭についての修正案が育ちつつあった。




