第九十一章 ダンジョンさま 6.ハンナの日記抄(その3)
ある日の夕方、畑から帰る途中で転んで膝をすりむいてしまいました。散らばってしまった荷物を拾い集めて、すこし足をひきずって帰る途中、おんりょうがあたしの前に現れました。少し恐かったけど、だんじょん様のお遣わしめならきっと大丈夫だと思っていると、おんりょうがもやもやした手をあたしの膝に当てました。そうすると、すっと痛みが引いていって、血が止まって傷口もふさがりました。あたしの方をじっと見ているような気配に、このおんりょうはお父さんなのかもしれないと思うと、涙が出てきました。哀しいのか嬉しいのかよく判らないけど、あたしはしばらく泣いていました。おんりょうはその間ずっとあたしの傍にいてくれて、あたしが泣きやんだのを見ると家の方を指差しました。遅くならないうちに帰るように言っているのだと思って、お辞儀して家へ帰りました。おんりょうはずっとあたしを見送ってくれました。間違いなくあたしの家を指差したので、あのおんりょうはやっぱりお父さんだと思います。
家へ帰ってお母さんにその事を話すとお母さんも泣きました。泣きながら、お父さんはだんじょん様のお遣わしめになって、死んだ後もお前を見守ってくれているのだと言いました。あたしもやっぱり泣きましたけど、お父さんが死んで哀しいのか、死んだお父さんに会えて嬉しいのか、やっぱり判りませんでした。
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怨霊の一体が少女の傷を癒した一幕は、偶々「怨毒の廃坑」を訪れていたクロウたちも目にしていた。
「……オルフ、あの怨霊は実際に少女の父親なのか?」
「そのようです」
「……麗しき父性愛ってやつですか、マスター」
肝心な内容には敢えて触れずに空々しい会話を続けるクロウたちであったが、これまた偶々思念を繋げていた精霊樹から容赦の無い突っ込みが入る。
「そんな事よりもじゃ、あの怨霊がなぜ治癒の力を使えたのか、この哀れな年寄りに説明してくれんかのぅ?」
言葉遣いはあくまで丁寧だが、その口調から青筋を立てているのが目に見えるような――樹木に血管など無い筈だが、それでもそんな光景を彷彿とさせる――迫力で精霊樹が追及する。
「そりゃ……試しに聖属性の魔石を与えたせいじゃないか?」
「ほぅほぅ? 簡にして明なる答えじゃのぅ? では、一体全体なぜそういう事をやらかしたのか、是非とも教えてくれんかのぅ?」
「いや……配下の能力と潜在能力を正確に把握しておくのは、指揮官たる者の義務だろう?」
「その義務感とやらに駆られて、怨霊に、選りにも選って、聖属性の魔石を、与えたと?」
一語ずつ区切るようにして追及する精霊樹。対するクロウもあくまで涼やかな口調で答弁する。
「既成の概念に縛られて検証を怠るようでは、上に立つ者として本分を全うしているとは言えないだろう? 言っておくが、一応志願を募ったんだぞ? ダバルやダンジョンコアたちに聞いても、怨霊に聖属性の魔石を与えた例は無いらしくてな。何が起こるか判らんから強制はしないと言ったんだが、どうした訳か怨霊たちがやけに協力的でな」
「……それはさておき、何でまた聖属性の魔石を与えようなどと思ったのじゃ?」
「いや、既にスケルトンドラゴンで成功しているんだから、怨霊でも問題無いんじゃないかと思ってな」
コーリーを祟り殺させて仇を討たせて以来というもの、怨霊たちは文字通りクロウに心服していた。ましてやクロウからその目的を聞かされた以上、村に遺族を残している怨霊たちが挙って志願しない理由がなかったのである。
「まぁ、これで怨霊たちが治癒魔法を使える事は確認できた。村に万一怪我人や病人が出ても、ある程度の対応は可能だろう」
言葉を聞いてクロウの真意を悟る精霊樹。しかし、どうしても一言云わずには済ませられなかった。
「村に具合の悪くなった者が出たら、ダンジョンから怨霊が往診に出向くという訳かの? お主は一体何を目指しておるんじゃ?」
「……他に使える手段が無いから仕方ないだろう。幸い、ここの村では異種族に対する偏見は薄そうだしな」
それは少し違うんじゃないか――怨霊は異種族という括りには収まらないだろう――と思う精霊樹であったが、クロウの主張にも半分くらいは正論が含まれているだけに、何となく反駁しづらい。
ともあれ、クロウとダンジョンによる村の庇護は、着々と手厚さを増していくのであった。




