第九十一章 ダンジョンさま 5.ハンナの日記抄(その2)
ある朝起きて畑に行くと、土の様子が何となく違っています。麦を掘り返したり植え直したりした様子はないけど、昨日までの固い白っぽい土ではなく、柔らかくふわふわした黒っぽい土になっています。あたしの家だけでなく、他の畑もみんな土が変わったみたいです。土が生き返ったと言って、お母さんは泣いていました。お父さんがつくっていた畑の土と同じような良い土だそうです。畑の傍にはいつの間にか井戸もできていました。
だんじょん様の御利益だと言って、隣の小母さんはだんじょんの方を向いて手を合わせていました。あたしもお母さんも、小母さんと一緒に手を合わせました。
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朝起きると、表で大人たちが騒いでいました。いつもお供えしている場所の傍に、見た事のないお芋が二種類、山盛りになって置いてあったそうです。その横には木の高札が立っていて、お芋の料理法と育て方が詳しく書いてあったそうです。とにかく試しに少しだけ食べてみようという事になって、あたしの家でも一個ずつ焼いて食べてみました。蒸し焼きにして食べると、丸っこい方はホクホクした感じで、お塩を少しかけて食べるととても美味しくてお腹が膨れました。もう一方の長い方は少し筋が多かったけど、柔らかくて甘くて、とても美味しかったです。さっそく畑で育てようという事になって、みんなで分けて植えました。上手く育ったら、あのお芋をお腹いっぱい食べる事ができると考えると嬉しくなりました。お芋ができたらだんじょん様にお供えしようと思います。
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だんじょん様にお芋を戴いてから三日後、今度は見た事のない作物の苗が同じ場所に置いてありました。横に立ててあった木の高札によれば、ぶろっこりーというそうで、育て方も書いてあるそうです。そして、この作物を食べると身体にたまった砒霜の毒が出て行くそうです。どの程度の効果があるかは判らないので期待しすぎないようにと書いてあるそうですが、説明してくれた小母さんは泣いていました。だんじょん様はあたしたちの身体の事を気遣って下さっているのです。ほかの大人たちも泣いていました。あたしとお母さんも泣きました。でも、嫌な感じはしませんでした。
畑に植えたぶろっこりーは、どんどん大きくなっていきます。ずいぶん大きくなったので、あたしとお母さんは毎日少しずつ食べるようにしています。お母さんは、身体の調子が良くなったと言っています。他の小父さんや小母さんたちも、みんな体の調子が良くなったと言っています。この頃村のみんなが笑う事が増えました。あたしもお母さんも笑う事が増えました。だんじょん様は本当にすごいと思います。
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ハンナたちに与えられた芋は、丸っこい芋はこの世界に自生するジャガイモもどき、長目の芋はクロウが腹を括って持ち込んだサツマイモである。鉱夫村の住民がジャガもどきを知らなかったのは、一つにはテオドラム王国が輸出用の小麦の栽培を強制していた――その代わり、飢饉や不作の場合には国が備蓄する穀物を放出している――ため、救荒作物的な性質を持つ芋類の栽培経験が無かった事が理由である。ジャガもどきは――こちらの世界でも――成長が早いため、当座の食糧を賄うものとして提供した。一方サツマイモの方は、一旦オドラントの試験場で栽培して殖やし、魔物化していない事と、鑑定結果に異世界云々の表記がない事を確認した上で、鉱夫村に持ち込んだ。サツマイモは荒れ地でも栽培できるため、住民たちの食生活を少しでも豊かにしようと考えたのである。……散々品種改良されて甘味に優れる現代日本のサツマイモは、救荒作物というより嗜好品に近いのだが、肝心なところで抜けの多いクロウがそれに気付く事は無かった。
ブロッコリーの方は、インターネットで砒素中毒の治療について調べていたクロウがブロッコリー粉末による砒素の排出や解毒促進に関する文献を見つけ、類似の作物を探す時間が惜しいと地球産のブロッコリー苗を持ち込んだものである。こちらもオドラントの試験場で栽培して殖やしたものを提供している。クロウが文献を読んだ限りでは、砒素の排出や解毒促進の効果は示唆されたものの、鉱夫村の住民が口々に感謝しているほどの体調改善の効果があったとは思われない。どうせ異世界のブロッコリーという事で効果が増幅されたんだろうと、クロウは半ば自棄気味に考えている。尤も、自棄気味ではあるが反省していないのも事実であるが、これについては精霊樹も思うところがあったのか、弾劾は控えていた。
水津ら(2013)ヒトにおけるブロッコリー摂取後のヒ素化合物の代謝と排泄について.臨床環境医学 22:59-65.




