第九十一章 ダンジョンさま 4.ハンナの日記抄(その1)
あたしはハンナ、十歳です。三年前にお母さんとこの村へ連れてこられました。お父さんが悪い人に騙されて畑も何もかも盗られてしまったので、借金を返すために鉱山で働く事にしたのです。でも、お父さんは慣れない穴掘り仕事で身体をこわして、二年前に死んでしまいました。この鉱山の石には毒が含まれていて、働く人はみんな身体を毒にやられて早死にするという事を後で聞きました。お母さんはそれを聞いた時すごく泣きました。あたしもいっぱい泣きました。
隣の家の小父さんは、コーリーという人に騙されて連れてこられたそうです。お父さんを騙したのもその人だという事です。もうすぐ自分も死ぬだろうから、その時にはコーリーを呪い殺してやるんだと言っていました。小父さんはそれから三か月して死にました。コーリーという人はまだ生きているみたいです。小父さんの呪いは効かなかったみたいです。あたしも一緒になって呪おうとしましたが、お母さんに止められました。どんなに悪い人でも、呪ったりしてはいけないそうです。そんな事をすると、死んだ後に神様の国に行く事ができなくなると言われました。でも、あたしは死んでからの事よりも、今、お父さんに生きていて欲しいです。それがだめなら、せめてコーリーという人が罰を受けて死ねばいいと思います。コーリーという人が生きていると、お父さんや小父さんみたいな人が他にも増えるかも知れません。神様も案外薄情だと、あたしはこっそり思いました。
あたしもお母さんも、この頃身体の具合が悪いです。あたしが悪い子だから神様の罰が当たったのかと思いましたが、水のせいだそうです。ここの水には毒が含まれていて、それを飲んでいると身体の具合が悪くなるそうです。お母さんはそれを聞いた時、あたしだけでも村から出してくれるように兵隊さんのところへお願いに行きました。でも、そうすると兵隊さんたちが王様から叱られるそうです。兵隊さんは気の毒がって、きれいな水をくれました。それからお母さんは、毎日水を貰いに行って、あたしにきれいな水を飲ませます。お母さんも飲んで欲しいと言っても、あたしが飲むのが先だと言います。我慢して水を飲まずにいたら、気分が悪くなって倒れました。気がついたら、お母さんが涙を流してあたしを叱りました。それからは少しずつ水を飲むようにしています。
・・・・・・・・
ある時、鉱山の方がひどく騒がしいので何かあったのかと思って行ってみました。お父さんが死んでからは鉱山の事なんかどうでもよくなっていましたが、大勢の人が鉱山の方から走って来ました。鉱山にお化けが出たそうです。お母さんは止めましたが、あたしはお父さんや小父さんがお化けになって出てきたのかもしれないと思って、行ってみました。鉱山の入口からたくさんのお化けが出てきましたが、お父さんがいるのかどうかは判りませんでした。でも、お化けたちは脅かすばかりで乱暴はしなかったので、悪いお化けじゃないのかもしれないと思いました。兵隊さんたちが逃げ出したので、あたしもいっしょに逃げました。後で聞くと、ドラゴンが出てきて火を吹いたそうです。あたしは見れなかったので、少し残念でした。
村からの道が兵隊さんたちに閉められたそうです。大人たちが閉じこめられたと騒いでいました。でも、兵隊さんがいるのが村の中から村の外に変わっただけで、あたしたちが村から出れないのは同じです。あたしたちはこの村で死んでいくんです。
・・・・・・・
神様は本当にいるのかも知れないと思いました。ある朝外に出ると、隣の小母さんたちが騒いでいました。井戸水の変な味が無くなったそうです。小母さんが飼っている山羊も、喜んで水を飲むようになったと言っていました。その時から、お母さんも小母さんたちも身体の具合がいいそうです。井戸水を汲んでおいた桶に小鳥がやって来て水を飲んでいました。いままでこんな事は無かったそうです。水が安心して飲めるようになったので、大人の人たちは昼間も畑に出て働くようになりました。いままではあまり水を飲まずにすむように、暑い昼間は家の中にじっとしていたのです。畑に水をやるようになってから、作物の育ちがいいそうです。
鉱山のお化けたちはあれから出てきません。
・・・・・・・・
コーリーという人に恐ろしい罰が当たりました。真っ黒で大きな骨の怪物が五匹、空を飛んでこの村にやって来ました。大人の人がすけるとんわいばあんだと言っていました。普通のよりも大きいそうです。そのわいばあんの一匹が馬車をつかんでいました。馬はついていませんでした。わいばあんたちは馬車をおろすと、それを取り囲むように並んでじっと待っているようでした。あたしたちは家の中に逃げ込んで、隙間からこっそりと見ていました。わいばあんの傍に、何かもやもやしたものがいるみたいでしたが、あたしにはそれが何か判りませんでした。
しばらく見ていると、男の人が一人やって来ました。わいばあんを見てびっくりしていましたが、わいばあんたちが何もしないのを見ると、柵のそばまで行って様子を眺めていました。お母さんは命知らずだと言っていました。それからまたしばらくして、今度は兵隊さんたちが大勢でやって来ました。兵隊さんたちもわいばあんを見てびっくりしていましたが、やっぱり男の人と同じように柵のところで見物する事にしたようでした。
兵隊さんたちが来るのを待っていたように、わいばあんの一匹が馬車を蹴り倒しました。すると、中から何だか成金みたいな男の人が一人飛び出てきました。お母さんはその人を見て、コーリーと呟きましたから、あれがお父さんを騙した人なんだと思いました。すると、わいばあんの傍にいた何かもやもやしたものが、コーリーという悪い人に集まっていきました。コーリーという人は恐ろしい悲鳴を上げて転げ回っていましたが、しばらくして死んでしまいました。あのもやもやしたものはおんりょうだったのだと、大人たちは言いました。お父さんや小父さんたちも、おんりょうになって仕返しができたのだと思うと、少し安心しました。わいばあんたちはいつの間にかいなくなっていました。わいばあんは人を襲うそうですが、あたしたちには何もしませんでした。
あのわいばあんたちもだんじょんのお化けたちも、神様があたしたちのところへお遣わしになったのだと思います。だから、あたしは草花を摘んで、だんじょんの柵の前にお供えしました。隣の小母さんが何をしているのか聞いてきたので、神様がお遣わしになっただんじょんにお供えしているのだと言うと、それはいい、あたしもつれあいの仇を討ってもらったのだからお供えすると言って、小母さんもきれいに洗った野菜をお供えしていました。あれからみんなも毎日お供えしています。
・ハンナの母親は、父親が無実の罪で犯罪奴隷に堕とされた事は話していません。
・砒素自体は無味無臭ですが、鉄鉱山のあるシュレクの井戸水には砒素の他に鉄が含まれていたため、鉄の味がしていたようです。アルセニックスライムは砒素を吸収して利用しますが、鉄と結合した形の砒素も取り込むので、水の鉄臭さが低下したというのが事の真相のようです。




