第九十章 シュレク 6.テオドラム王城 国王執務室
国務卿たちとの会談を終えて執務室に引き上げた国王は、軽く溜息を吐きながら、凝り固まった身体を伸ばす。軽いストレッチ――の、ようなもの――を済ませて戸棚に向かい、酒の瓶とグラスを二個取り出す。そのまま手ずから二つのグラスに酒を注ぐと、腹心でもある親友に一つを渡しす。軽くグラスを触れ合わせた後、二人はそれぞれのグラスに口を付けて、芳醇な香りを楽しみながら飲み下す。
「オランド、先ほどの会議で何か言いたそうにしていたようだが……?」
国王の問いかけに副官は一瞬ピクリと身を強張らせたが、すぐに溜息を吐いて答えを返す。
「隠せませんでしたか……いえ、愚にもつかない事を考えていただけです」
「長年の付き合いだぞ? 何かを考えている、懸念しているくらいの事は判る。何をそんなに気にしている?」
副官はそれでもなお躊躇うようであったが、国王の強い視線に促されて、渋々といった様子で口を開く。
「最初に申し上げておきますが、これはまだ単なる思いつきに過ぎません。その意味や何かについて、俺にもまだよく掴めていませんからね、深く考え過ぎないようにして下さいよ、ハリク」
士官学校時代の口調に戻った友人の言葉を聞き、私人の立場でなくては会話にすらできない内容なんだろうと察する国王。
「……随分と突拍子もない話のようだな?」
「荒唐無稽と言って良いでしょう」
「酒のつまみには丁度良かろう」
「……酒が不味くなるかも知れませんよ?」
「それも一興だ。話せ」
再び軽い溜息を吐いて、オランド卿は話し始める――気の進まない様子のまま。
「ダンジョンが発生した順番について考えていたんです」
「順番?」
怪訝そうな顔を隠そうともしない国王。順番も何も、国内にあるダンジョンはシュレク一つだろうに。そこまで考えた国王は、親友の言いたい事を察する。
「……ピットの事を言っているのか? イラストリアにある?」
「ええ。というより寧ろ、イラストリアにあるダンジョンの事です」
不審そうに見返す国王に、自分の懸念を語るオランド。
「ダンジョンというものは、そうそう頻繁に出現するものではありません。しかるに、イラストリアでは二年前に二つも新しいダンジョンが出現している」
実際には二つどころではないのだが。
「そして、ダンジョンではないにせよ、ヴァザーリの町には聖気を纏ったスケルトンドラゴンが出現しました。また、イラストリア側はまだ察知していないでしょうが、ピットの活動が活溌になり、危険度も以前とは桁違いに上がりました。最後が今回シュレクに出現したダンジョンです」
「おい……まさか」
「はい。見事なくらい順を追って南下しています。イラストリアも恐らくこの事に気がついているのでしょう。勅使がシュレクのダンジョンにああまで固執したのも、この事を踏まえた上での行動だとすれば説明がつくかと」
思いがけぬ指摘に顔をしかめる国王。しかし、国務卿は誰一人としてその事に気がつかなかったのか?
「無理もありません。俺だって先日ハリクがイラストリアのダンジョンの事を教えてくれなかったら、気がついたかどうか判りません」
「あの物騒なダンジョンか……憶えているぞ。『還らずの迷宮』に『流砂の迷宮』だったか」
「二つのダンジョンがほとんど同時に出現した事に興味を持って、イラストリアに関する報告を漁っていて気付いたんです。他国の冒険者に関する報告まで目を通している暇は、国務卿たちにも無かったでしょう」
「ふむ……。で? これにはどういう意味があると考える?」
オランドは盛大な溜息を吐いて白状する。
「それが思いつかないから気が進まなかったんです。憶測だけなら立てられますよ? 魔族が何かを企んでるとか、何とか。けれど、確たる証拠がありません」
「イラストリアの方では何か掴んでいないのか?」
「どうでしょうか? 外務卿や軍務卿の口ぶりでは、特に目につく行動は起こしていないようですが」
「……その二人には話をしておいた方がよいか? 非公式な案件として」
「でしたら、ラクスマン農務卿にもお願いします。あの古強者なら何か良い知恵を出してくれるかもしれません」
「そうだな……早めに話を通しておくか」
「外務卿への連絡は特に急いだ方が良いかもしれません。イラストリアの勅使に探りを入れてもらいましょう」
「イラストリアか……。当然何か知っている筈だな」
イラストリア側にしても、それほど多くを知っている訳ではない。ただし国内での情報がそれなりに多かったため、クロウの活動を「南下」ではなく、活動範囲が広がっただけであると看破していた。
イラストリアとしては、クロウの活動がヤルタ教に敵対するものであろうと、状況証拠から見当は付けていた。テオドラムへ食指を伸ばしたのも、ヤルタ教が密かにリークした「亜人の傀儡化」についての情報を掴んでからは、それが原因であろうと見ていた。ただ、それでも事情を知ってはおきたいため、勅使の一行に情報収集を命じていた――というか、エメン追跡隊そのものが情報収集のためにでっちあげられた部隊である。
そこまで詳細なデータを入手できないテオドラムとしては、「魔族の南下」という解釈は妥当なもののように思えたのである。
「三名には明朝にでも参内してもらおう。この件について検討してもらうためにな」
また一つ誤解の歯車が回ろうとしていた。




