第八十九章 エメン追跡隊 4.テオドラム王城
テオドラム王城の奥にある執務室では、国王とその副官が密議をこらしていた。
「……ニルの冒険者ギルドからの連絡だと?」
「はい。イラストリアの捜索隊のやつら、指示がないのを良い事に、我が国とイラストリアを結ぶ小径を片端から洗い出しているようです。表向きはエメンとやらの侵入ルートを探るという事になっていますが」
「ちっ、面倒な真似を……止める事、いや、勅使に言って止めさせる事はできんのか?」
「何と仰るおつもりですか? 我々から他国の勅使に命令を下す事はできません。まして先方には大義名分がある訳ですから」
「……勅使からの指示を騙る事は……」
「無理です。彼らも兵士である以上、確認のとれない指示には従わないでしょう」
「では、とっとと勅使を送り出せ」
「飛竜を使ってさえ二日以上かかる距離です。勅使殿は急がないでしょうから、その間はこちらも手が出せません」
「えぇい、腹の立つやつらだ」
「元々あの辺りの小径は軍事行動には使えません。潜入路は他にもありますし、諦めるしか無いでしょう」
テオドラム国王の執務室からは、その夜、聞くに堪えない罵詈雑言が聞こえたとか、聞こえなかったとか……。
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「どうもお待たせしましたかな、イラストリアの方々」
「これはトルランド卿、こちらこそ突然に押しかけまして、ご迷惑をおかけします」
にこやかな顔つきで化かし合いを始めたのは、こなたテオドラムの外務卿を努めるトルランド卿、かなたイラストリアの勅使を任された外務系の貴族。戦いの火蓋が切られたところである。
「して、本日のお越しは如何様なおもむきで?」
「いえ、実は我ら、待たせて戴いている間に王都の見学をする機会に恵まれまして、色々と見聞を深める事ができました」
「ははは、これはご冗談を。お国の王都に較べれば、無骨なだけでお恥ずかしい限り。まぁ、我らも民も気に入ってはおりますが」
「いえいえ」
「いえいえ」
不毛なジャブの応酬の後で、イラストリアの勅使は何気ない風で本題を切り出す。
「時に、巷間の噂では、シュレクとやらにダンジョンが出現してモンスターが溢れているとか?」
外務卿は腹の中で舌打ちをするが、口から出たのは涼やかな言葉であった――品を失わない程度の軽い苦笑とともにではあるが。
「溢れているは大袈裟ですな。出現時に小五月蠅いゴーストが些か飛び回りましたが、それだけですよ。今は静かなものです」
「ドラゴンを見たという話も聞こえてきましたが?」
トルランド卿は腹の中で思うさま罵声を浴びせるが、やはり穏やかで気品のある口調を崩さない。
「確かにそういう報告は受けておりますな。しかし、あれについては……実体のあるものかどうか疑う声も上がっているのですよ……いうなれば幻影か幽霊のようなものではないかとね」
「ドラゴンの亡霊ですと!?」
(おぉ? 咄嗟の出任せだったんだが、思った以上に食い付いてきたな。これは……この線でいけるか?)
「ええ。ドラゴンらしきものが確認されたのはその時だけ。野次馬共が逃げ出したせいでその後の仔細は確認がとれておりませんが、その周辺でドラゴンの影も鳴き声も確認されていないのは事実。しかも、その後にダンジョン監視の任に当たった部隊によれば、あれ以来ドラゴンは確認されておりません」
(ふむ……自分で言うのもアレだが、何というか実に尤もらしく聞こえるな。案外、事実に迫っておるやも知れぬ。陛下にご報告致すのが楽しみだ。これは今宵の晩酌も美味かろう……すこし贅沢をしてみても良いかもしれん)
「その後、陛下の命によって、各地に配した部隊に監視と哨戒を厳にさせましたが、今なおドラゴンの目撃は報告されておりません。既知のドラゴンの行動に照らしてみてもおかしなところが多いのですよ。……いや、これはイラストリアよりのお客人には釈迦に説法でしたな」
(ほぅほぅ、難しい顔をして考え込んでおるな。向こうの思惑を外す事ができたのか? ……つまみもとっておきの燻製を出すか。ワイバーンのやつがまだあった筈だ)
「……すると、目下のところ貴国におかれては、ドラゴンによる脅威は確認されていないと?」
「あくまでも現時点での話ですが」
(ふふん。勅使殿もいちゃもんはつけられまい。食前酒も舶来のワインにするか、うむ)
「それは重畳。お見事としか言いようがありませんな」
「いえいえ、平素からの訓練の賜物……と言いたいところですが、実際は運に恵まれただけでしょう」
(ふむ? なにやら雲行きが怪しいな。難癖をつけに来たわけではないのか?)
「いえいえ、幸運の女神に愛される事は、神がその国を祝福し賜うた証し。羨ましい限りです」
「いやいや、そこまでの事は」
(イラストリアの古狐め、一体何を考えておる? ……食前酒はいつものやつにしておくか)
「ですが……危険が無いというならば、お国にできたというダンジョンを視察したいのですが」
「何ですと!?」
この勅使殿、頭がどうかしたのではないか?
「いえ、さすがにダンジョン内に入ろうというのではありませんよ。遠くから様子を見たいというのと、あとはお国の方々から話を聞ければと」
「解りませんな。なぜそこまでご執心なのですか?」
「ご存じかどうか、我が国にはモンスターやダンジョンが多うございましてな。民の被害も心労も無視できるものではございません。お国に新しいダンジョンができたと聞いては、無関心ではいられないのですよ」
(ふむ……イラストリアの狙いは我が国のダンジョン……もしくはあそこに出現したドラゴンか? ……いや待て、シュレクと言えば、最近駐屯兵力を拡大したばかりだな……つまみはいつものチーズにしておくか。あれも結構美味いしな)
「ですが……勅使殿が寄り道をされると、ニルで待たれている捜索隊の方々もお困りでは?」
「あちらには今日にでも使いの者を走らせましょう。私も上の方からお国のダンジョンについて伺ってくるようにと言いつかっておりまして、どうかご配慮戴きたいのですよ」
かなり本気のようだな……
「さすがに隣国の勅使殿を案内できるかどうかは、この場で即答は致しかねます。一度陛下に上奏して、閣議にかけてからとなりますが?」
「よろしくお取りはからいの程を」
(やれやれ、仕事が増えそうだ……今夜の晩酌は無しだな)




