第八十八章 モルヴァニア軍国境監視部隊 4.監視部隊駐屯地
モルヴァニア王国軍国境監視部隊の駐屯地。そこの大天幕では、調査部による環境調査結果の報告会が開かれていた。部隊の指揮官と調査部のトップが、ともに美辞麗句を嫌う性質であったため、報告会自体もざっくばらんな雰囲気の中で行なわれていた。
「……古株の灌木を調査したところ、確かに砒霜による汚染の痕跡があった。にも拘わらず、土壌や水からはほとんど砒霜は検出されていない。そう言うんだな?」
「納得できないのは解ります。誰よりも私が納得できませんからね。ですが、残念な事にこれが事実なんですよ」
胡散臭そうに調査部のチーフを睨み付けるカービッド将軍。その視線を一歩も引かずに受け止める調査部トップのハビール教授。両者の力強い視線が一時絡み合ったが、やがて将軍は得心したように頷いた。
「いいだろう。調査結果をそのまま受け容れるとして、我々が本国で受けたレクチャーの内容と大きく――これ以上無いほどに――食い違う理由は何だ?」
「将軍がお受けになったレクチャーの内容とやらを知りませんが……テオドラムでシュレクと呼んでいる場所で砒霜による被害が発生しており、その瘴気が溜まって鉱山がダンジョン化した……これでよろしいかな?」
「あぁ、そういう事だ」
「まず、鉱山のダンジョン化に関しては、我々は何も言う事ができません。現場を調べた訳ではありませんのでね」
「それは構わない」
「シュレクその場所についても調査した訳ではありませんが、実は現在我々がいる場所については、古い文献に既に鉱毒の記述があるのですよ。地理的なあれこれを考えれば、シュレクとやらの鉱毒と同じ原因と考えて良さそうですから、以後はテオドラム国内のシュレクではなく、モルヴァニア国内のこの地について話させてもらいますよ?」
「前置きは良いから、さっさと本題に入ってくれ」
「では……さっきも言ったとおり、ここの鉱毒については古くから知られており、その原因が砒霜である事も判っています……いえ、いました」
カービッド将軍は何も言わず、視線だけで続きを促す。
「王国の農務部が全国の土質を調べた報告書でも、この近辺の土や水に砒霜が含まれている事が記されており、その濃度も測定されています」
「その報告書とやらはいつのものだ?」
「調査自体の年月は今すぐには判りませんが、出版されたのは今から十年以上前ですな」
「続けてくれ」
「我々は、樹齢が十年以上ありそうな灌木――この種類はどういう訳か、砒霜などの鉱毒素を溜め込む性質があるのですよ――を選んで、根元付近から先端付近に至る数ヵ所の組織を取り出し、組織に蓄積している砒霜の濃度を測定してみました。その結果、先端部に近い部分からはほとんど砒霜を抽出できませんでしたが、それ以外の部分からは一定量の砒霜を抽出できました。抽出できた砒霜の濃度から推定した土壌の砒霜濃度は、農務部の報告書の数値とほぼ一致しました」
「砒霜を抽出できなかった先端部は、いつごろに育った部分なのかは判るか?」
間髪を入れずに発せられた将軍の質問に、あたかもその質問を予期していたかのようなタイミングで、教授が答えを返す。
「幾つかの検体を精密測定した結果では、おおよそ半年以内ですね」
「ふむ……それから推測できる事は……」
「待って下さい。まだ報告は終わっていません」
何やら言いかけた将軍の言葉に押っ被せるように、教授が話を続ける。
「我々はある予断の下に、十数ヵ所の試掘井を掘って水質の調査を行ないました。その結果、水中の砒霜の濃度は、国境に近いほど低く、国境から――と言うよりは恐らくシュレクから――遠ざかるにつれて高くなっている事、そして砒霜濃度の低下が起きたのは、シュレクに近い場所ほど早かったらしい事を突き止めました」
ハビール教授の発言内容がカービッド将軍の頭に滲み込むのには少し時間がかかったが、一旦理解すると将軍は……前にも増して胡散臭げな視線を向けてきた。
それはそうだろう。教授の話をそのまま鵜呑みにするのなら、シュレクは長年にわたって砒霜による鉱毒の原因であったのが、ここ半年の間は掌を返したように、浄化の原因として振る舞っているという事になる。
「……調査部としては、調査結果をどう解釈している?」
将軍の言葉に肩を竦める教授。中々様になっているところを見ると、しょっちゅう肩を竦めているのかもしれない。
「我ながら馬鹿らしいとは思いますが、調査の結果、および、シュレクの異変が起きたのがおよそ半年前である事を考えると、シュレクの鉱山がダンジョン化した過程で、鉱毒を吸い取ってしまったのではないかという仮説が立てられます」
「だとすると……あのダンジョンが存在する事は、我がモルヴァニアにとっては国益に適う事なのか?」
余りにも非常識な仮説を平気で――自棄になっているのかもしれないが――口にした教授も教授だが、その妄説を冷静に敷衍する将軍も相当なものである。
周囲の人間――今まで話していたのは二人だけだが、天幕の下には他にも大勢の幕僚や科学者がいる――は明らかに引き気味だが、ただ一人、教授はびくともせずに将軍の発言に対応する。
「それについては何とも言えませんな。しかし、将軍のその質問に対する答えを得るために必要なものは判ります」
「それは?」
「ダンジョン、あるいは魔獣の専門家ですよ。狩る方ではなく研究する方のね」
「そんな専門家がいるのかね?」
「我が国にいなくても、どこかにはいるでしょう。マナステラやイラストリア、あるいはモルファンといった国々にはね」
「イラストリアか……」




