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第八十七章 小麦とビール 2.王都イラストリア 王城会議室

 二月の半ば頃、イラストリア王城における国務貴族との会議では、ここ数日の小麦の値上がりが議題に上っていた。



「……すると、小麦の値段が軒並み一割ほど上がっておると言うのだな?」



 国王の問いには宰相が代表して答える。



「はい。テオドラムの毒麦の話はすっかり広まっており、近頃では子供の飯事(ままごと)遊びにもその話題が出てくる始末。これは我が国だけでなく、マナステラなどのやイスラファンなどでも同様と聞き及んでおります。加えて同時に暴かれた()(そう)の件が追い討ちをかけて、小麦以外の農産物もテオドラム産は忌避される傾向にあります。結果として民はテオドラム以外の小麦や農産物を求めるようになり、それらが品薄となったために(いささ)か値上がり気味でして……」

「小麦が不足して民が飢えるような事態にはなっておらぬのだな?」

「現状そこまでは。しかし、このような事態が今後も続くとあらば、何らかの手立てを講じませぬと……」



 宰相の言葉に、国王は僅かに顔をしかめる。先日の不愉快な会見を思い出したのだ。



「既に知っている者もいようが、実は先日テオドラムよりの使者が参ってな、小麦の取引量を戻さぬと、砂糖の値上げは避けられぬような事を臭わせていきおった」



 一斉に上がった貴族たちの不満の声を抑えるように、宰相が代表して問いを発する。



「恐れながら、陛下は何とお答え遊ばしたので?」

「我が国ではテオドラムのような価格統制策を採っておらぬゆえ難しいが、閣議に(はか)って前向きに検討するとだけ答えておいたわ」



 国務卿の一人が()()ずと発言する。彼は甘党だ。



「しかし……砂糖が値上がりするというのは……」

「大した問題にゃならんでしょう」



 国務卿の発言をばっさりと切って捨てたのはローバー将軍である。かれは第一大隊長としてでなく国軍総指揮官として、傍らに立つウォーレン卿はその副官として会議に出席している。



「……将軍、大した問題ではないというのは?」



 甘党の国務卿の質問にはウォーレン卿が答える。



「テオドラムの砂糖が売れるのは、舶来品の砂糖よりも安いためです。安易な値上げはその優位性を自ら捨てるだけ。三割以上値上げをすれば、民は多少高くても舶来品の砂糖を選ぶでしょう――何せ()の国の産物はすっかり信用を失っていますから。舶来品の流通量が増えれば値段は幾らか下がるでしょうから、テオドラムの砂糖はますます肩身が狭くなる。敢えて愚策を採るとは思えません」

「ま、ガキ共の飴玉がちっとばかり高くなる程度でしょうな」



 二人の説明にふむと納得する一同。腹黒――褒め言葉である――と名高い商務卿が、ここで一つの提案をする。



「ならば、イスラファンとの交易を握っておる者を呼んで、砂糖の流通について話をしてみますかな。どっちに転ぶにせよ、砂糖の入手先を確保しておいて悪くはないですからな」



 ()(うん)の呼吸で、この発言に外務卿が反応する。



「それはいいですな。できればテオドラムの使者の鼻先で見せつけてやるとなおよろしい」



 彼もテオドラムには色々と手を焼いている口である。


 砂糖の懸念はとりあえず去ったと見極めた宰相が、小麦の話題に話を戻す。



「諸卿さえよければ小麦の話に戻りたいが……よろしいかな?」



 ざわついていた国務貴族たちも、宰相の言葉に姿勢を正す。



「ロウリッジ卿、小麦の増産を図る事は可能ですかな?」



 予想どおりの宰相の言葉に農務卿は困ったような顔を隠さない。



「ご存じのように、耕作地の面積はもう増やせないところまで来ております。これ以上の増産となりますと、小麦自体の収量を上げるか、高原でも栽培できる小麦を開発するか、そのどちらかしかありませぬ。学院に研究を依頼してはおるのですが……」

「芳しくはないと?」

「彼らに言わせれば、高収量の品種にしろ耐寒性の品種にしろ、他の地域、他の大陸で栽培されている品種や原種を取り寄せて交配実験を行なわないと、効率が悪いそうです」

「つまり……一朝一夕にどうこうできるものではないと?」

「彼らはそう言っております」


(……他の国の植物?)



 ウォーレン卿の脳裏にふっとある男の事が浮かんだ。あの異国の男は、未知の薬草を求めてこの国へ来たという。彼ならばあるいは何か役に立つ事を知っているのではないか……?

 そう考えていたウォーレン卿であったが、続く宰相の発言に、今はそれを考えるべきではないと思い直す。どうせ現状彼と連絡する手立ては無いのだ。



「ならば次善の策として、王城に備蓄している小麦を放出して市場不安を鎮静化する事も考えるべきでしょう……このままの品不足が続くようなら、ですが」

「……食糧用の備蓄を取り崩すのか?」

「いえ、当面はエールの原料として取ってある分を回せばよいかと」

「……呑兵衛どもから不満が出るぞ?」

「仕方がありません。他の案としては、ライ麦の流通量を増やすくらいしか、(それがし)には思いつきませぬが」

「他国からの輸入量を増やす事は?」

「マナステラでも国産小麦の値段が上がり気味だそうですから、状況は大して変わらぬでしょう。可能性があるとすればマーカスですが、()の国にしてもそう急に生産量を上げるとは思えませぬ。数年は様子を見るでしょうな」

「つまりはここ数年をどう持ち(こた)えるかが問題か……」



 何か考えている様子の国王であったが、その視線がローバー将軍とウォーレン卿の方を向いた。



「ローバー将軍、何か無いか?」



 国王からの問いに、将軍は黙ってウォーレン卿の肩に手をかけて前へ押しやる。押されたウォーレン卿は思わず振り返りそうになるが、それを抑えて国王に一礼する……将軍(タヌキおやじ)め、覚えていろよ……なんて()(しき)()(じん)も見せない。



「宰相閣下の(おっしゃ)るとおりでよいかと。強いて付け加えるとしたら、マーカスやイスラファンにおける小麦の品種に関して調べては如何(いかが)かと愚考いたします。あとは、多少費用はかかりましょうが、肥料を多めに投入した場合の増収効果について、農務卿からお話があろうかと」



 ウォーレン卿から話を振られた農務卿は(うなず)いて答える。



「確かにウォーレン卿の言われるとおり、肥料を多めに与えれば収量を増やす事は可能です。費用対効果(コストパフォーマンス)の点であまり旨味はありませんが、効率の良い施肥について調べさせましょう」



 この日の会議はそれで終わった。



・・・・・・・・



 それから一月以上、小麦の値段はまだ下がらない。

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