挿 話 商人セルマイン
マナステラに商会を持つエルフの商人セルマインは、目の前に置かれた品物からようやくの事で視線を外すと、盛大な溜息を一つ吐いた。
閉鎖的なエルフの村を出てかれこれ六十年。好奇心に任せてフラフラと色んな所へ出入りしているうちに、エルフと人間の双方から品物の調達や伝手の紹介を頼まれる事が多くなり、気が付いたら商人になっていた。
幸いにしてこの国はエルフや獣人に対する偏見が少ないようだが、それでも長年のうちには様々な出来事を見聞きしてきた。エルフや獣人に対する迫害や弾圧が存在する事も知っている。だから、そのような迫害から同胞の身を守るために亜人連絡会議なるものが設立されると聞いた時には、早速参加を表明した。その事自体は今でも後悔していない。
同胞の身を守るために人間社会の情報の――穏当な手段での――入手や流通網の整備への協力を依頼された時も、二つ返事で引き受けた。テオドラムの軍事情報を、マナステラやマーカス、モルヴァニアといった国々の上層部へそれとなく流す手配もした。人間たちからは物凄く感謝されたから、商人としても美味しい話だった。しかし……
「……まさか砂糖の販売ルートの構築を頼まれるとはなぁ……」
この世界で砂糖は――珍品と言うほどではないが――需要の大きさに対して入手がそれなりに難しい品物である。現在のところ、沿岸諸国を介して海外から貿易によって入手する以外は、テオドラムが独占的に製造・販売するものを買うしかない。砂糖の独占はテオドラムの国力の基礎とも言うべきものであり、それゆえにテオドラムは砂糖の製造に関する一切の情報を厳重に秘匿し、ライバルの出現を――合法脱法違法の手段を問わず――阻止してきた。
そこへ新たな砂糖の流通ルートを持ち出すなど、正面切ってテオドラムに喧嘩を売るようなものだ。だからこそ、連絡会議も騒ぎにならない販売ルートの構築を打診してきたんだろう。当面は感触を探る程度で良いとは言われているが……
「……見本として砂糖を持ち出しただけで大騒ぎになるよなぁ……」
セルマインが見ているのは真っ白に精製された砂糖。テオドラムの砂糖はおろか舶来品ですら見た事がない程の純度を誇る代物である。
連絡会議の側も騒ぎになる事を懸念したのか、他に精製純度の違うものを幾つか持ち込んできたが……。真っ白でさらさらした砂糖の他に、やや赤味が残る塊状の砂糖――舶来品の砂糖は大体このレベルであり、セルマインは砂糖とは押し並べてこんなものだと思っていた――と黒砂糖、そしてどろりとした糖蜜である。黒砂糖は比較的よく見るものだが、石灰の粒や植物質の細片などの夾雑物は一切混入していない。
物品が砂糖だけに、品物を見せずに取引をしようとしても信じてはもらえないだろう。第一、連絡会議からの依頼には、どのタイプの砂糖が好まれそうかを調べる事も入っている。現物を見せないわけにはいかないが、そうすると騒ぎと詮索を避ける事もできないわけで……堂々巡りの難題だ。
どのタイプの砂糖が売れるかという質問に対しては、商人としてなら白砂糖一択だ。今まで見た事も考えた事もない代物だから、貴族や金持ちのところに持って行けば言い値で買い取ってもらえるだろう。しかし、連絡会議の質問の意図はそこには無いんだろう。一般の民衆がどれを好むのか……品質の良い黒砂糖か、どろりとしているが溶かしやすそうな糖蜜か、舶来品並みの白下糖か……それとも、他に類例のない白砂糖を指先ほどの量だけ買っていくのか。……これまた結構な難問だ。
「誰に話を持っていったものか……」
数名の商人仲間が脳裏に浮かぶが、余計な詮索をせず、かつ口が堅いというのは最低条件だ。尤も、口の堅さについてはあまり心配はしていない。テオドラムが執拗に競合相手を潰してまわった結果、砂糖の取引は大っぴらにやらない事が暗黙の申し合わせになっている。寧ろ問題なのは、商売敵を潰すためにテオドラムに密告するような連中の方だろう。となると、余計な軋轢を抱え込んでいる商人は拙いか……。
テオドラムの目を少しでも眩ますためには、舶来品の流通ルートに紛れ込ませた方がいいかもしれない。だとすると、そのルートを握っているのは……。
セルマインの頭の中で、共犯に引きずり込む相手の選別が進んでいく。
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おおよその見当が付いたところでセルマインは一服する事にして、脇に置いてあるモノに目を遣った。今回の一件の手数料、兼、必要経費として持ち込まれたものである。
ワイバーンの皮膜二頭分。
砂糖ほどではないにせよ、こちらはこちらで、どこに持って行ってもちょっとした騒ぎになりそうな代物である。
野生のワイバーンが狩られる事は少なく、飼育されているワイバーンが死んだ場合も素材は飼い主が引き取るのが常で、その処理を任される商人も大体決まっている。ゆえに、ワイバーンの素材が市場に出る事自体が滅多に無い。
セルマインの所に持ち込まれた皮膜は、クロウがテオドラムのイラストリア侵攻部隊を片付けた時に付け合わせとして狩った飛竜部隊の屍体から剥ぎ取ったものであった。大量に得られた屍体のうち、肉などはピットを含む仲間内に配った――それでもまだ余りまくっている――が、皮などの素材は手つかずのまま残っていた。要はそれを謝礼という形で体よく押しつけただけなのだが、難題の報酬に相応しいだけの市場価値はあった。問題は……
「どこに持って行ったもんかなぁ……」
後に亜人連絡会議の御用商人として手腕を振るう事になるエルフの商人セルマイン。その御用商人としての第一歩は、斯くの如き難題から始まったのである。
次回は本編に戻ります。




