第八十一章 テオドラム 5.ヤルタ教教会
予約投稿の日時を間違えていました。申し訳ありません。
昨日投稿すべきであった分と併せて二話分を公開します。
テオドラム王国の旧都テオドラム。王都としての地位は新都ヴィンシュタットに譲ったが、建国以来の伝統が今も息づくこの街には、新都とはまた別の活気が感じられた。
その旧都の一角に新たに建てられたヤルタ教テオドラム教会の一室で、テオドラムへの布教という大任を任された司教は思い悩んでいた。
テオドラム軍が推定二個大隊ほどをイラストリア王国侵攻のために差し向けた事は、既に教主に報告してある。しかし、かれこれ四ヵ月にもなろうというのに、その後の話がうんともすんとも聞こえてこない。一体侵攻部隊はどこへ行ったのか。テオドラム王国の者が狼狽えて走り回っていたようだから、彼らにとっても予想外の事が起きた事だけは確かだろうが……逆に言えば、それ以上の事がまるで判らない。どうやら行方を絶ったらしいのだが……。
(侵攻部隊の規模が情報どおり二個大隊だとすると、滅多な相手に後れは取らぬ筈。ましてや一言も発せずに消滅するなどとは考えられぬ。と、なれば答えは一つしか無い)
テオドラムの地への布教を任された司教は優秀な人物であった。配下の伝道士――新たな場所へヤルタ教の教えを広める役目を担う司祭・助祭を、ヤルタ教ではこう呼んでいた。司教自体は一段上級の伝道師である――を手足の如く使い、布教と同時にその地の情勢や民衆の動きなどを探らせていた。しかし、テオドラムに入ってまだ日も浅い現時点では軍部や王国に伝手を育てる時間はなく、侵攻部隊の足跡がオドラントの地で掻き消すように無くなっているという異常事態を知る事はできなかった。
(テオドラム軍二個大隊は、自らの意思で姿を隠した。つまりは叛乱が起こったのだ。指揮官クラスが首謀していれば、下級兵士は上官の指示に従うだろうから、たとえ二個大隊といえども統率するのは難しくない筈。だが……問題はその後だ。二個大隊の兵士と軍備をどこに隠した?)
テオドラム王国首脳は、指揮官たちの為人とオドラントでの消失の様子から、脱走や叛乱の可能性は低いと判断していたが、そこまでの情報はヤルタ教側には入ってこない。
(テオドラム軍が探しているのは二個大隊。ばらばらに別れてしまえばそこまでは目立たぬ筈……ではあるが、一方で不審な部隊が見つかる確率は、部隊数が増えた分だけ上がる事にもなるか……)
そこまで考えて、司教は堂々巡りを追い払うかのように首を振った。
(……今の時点では全てが推測に過ぎぬ。少々危険ではあるが……テオドラム軍の進んだ道を伝道士に辿らせてみるか……)
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一週間後、司教は新たに入ってきた情報を前にして、以前に増して首を捻っていた。新たな情報が追加されたのは重畳だが、疑問の解明には役立っていない。それどころか、却って不可解な点が付け加わった。
(侵攻部隊が何事もなくレンヴィルを出発したのは確かなようだ。それ以上の追跡は……やはり駄目だな。今、テオドラム側に不信を抱かれるわけにはいかん)
レンヴィルから先は村はおろか人家も少なく、特にオドラントと呼ばれている辺りは草木すら生えぬ荒れ地である。伝道の僧が通るに相応しい道ではない。イラストリアから追加人員を送ってもらうようにして、その道中に検分させるしかないだろう。
(それに……ニルの冒険者たちの間で広まっているという噂も気になる)
配下の一人が旧都テオドラムの居酒屋で冒険者たちと話していて聞き込んだ噂は、元々は昨年の暮れにニルの冒険者あたりから出てきた話らしい。イラストリアの冒険者による対魔獣戦講座の話に関連して口の端に上った話題であった。昨年末から年始にかけては教会の地盤固めのための奉仕活動に忙しく、伝道士を他所へ派遣する余裕など無かったため、調査から漏れたのである。
(ニルの南で雷鳴もしくは咆吼のような音が聞こえたとは……)
司教はテオドラム王国の地図に目を向けた。
(ニルの南と言えばオドラントだ。人跡稀な彼の地なら、叛乱を実行するのに不都合はなかっただろうが……あの場所でどこに身を隠す? 来る途中に通って来たが、身を隠せるような地形も茂みもなかった。ましてや二個大隊となると……。第一、兵糧も既に尽きておる筈だ。あの場所で解散したというならまだ理解はできるが……)
その場合でもまだ疑問点は残っている。
(雷鳴もしくは咆吼のような音とは何だ? どう考えても、叛乱もしくは脱走とは結びつかん。叛乱・脱走のいずれにしても、目立つ行動は厳禁の筈。わざわざ異音を立てるとは思えん。……となると、彼の異音は侵攻部隊の意図したものではない? 部隊の消失と異音が結びついているなら、消失もまた部隊の本意ではなかった――つまりは叛乱でも脱走でもなかったという事になるが……そうすると最初の問題がまた蒸し返されてくる。……どんな状況なら、二個大隊が一言も発せずに消滅するなどという事が起こり得るのだ?)
途方に暮れたように司教は溜息を吐いて決断する。たとえ無能と思われようと、ここまでの情報をそのまま本国へ送るしかない、と。
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ヤルタ教中央教会の一室で、教主ボッカ一世は考え込んでいた。テオドラム王国に伝道師として派遣した男は有能だ。奇妙な状況に浅はかなこじつけをする事なく、得られた情報のみを送って寄越した。そしてこの情報だけでは――何が起きたのかさっぱり判らん。
しかし教主は、彼の司教が知り得ぬ情報を持っていた。そう、他ならぬ教主の指示で、テオドラムの傀儡兵の事を亜人たちにそれとなく流したという情報を。
(しかし……時間的な前後関係が符合せぬな? これだとテオドラム軍の二個大隊が消えたのは、傀儡兵の事を漏らすより五日以上前だが……亜人どもめ、独力で傀儡兵の事を探りだしておったか?)
二個大隊の消失と亜人の動きが関係しているという前提では、教主の結論もおかしくはない。そして、ヴァザーリでの一連の騒ぎを知悉している教主は、強大な何者かが亜人の背後にいる事を疑っていなかった。
「亜人どもは一体何をやった?」
ヤルタ教教主ボッカ一世は、それまで人間以下と蔑んできたエルフや獣人たちが、今初めて得体の知れぬ恐ろしいものに思えてきた。
しばし熟考していた教主は、配下を呼び寄せると指示を出す。
「テオドラムの司教に伝えよ。テオドラム王国とは適度な距離を置き、決して深入りするなと。これ以上余計な災いに巻き込まれるのは避けねばならぬ」
本日はもう一話公開します。




