第八十章 シュレク 1.前段
時系列的には、サトウキビ――まだモンスター化していない――の植え替と収穫の間になります。
その日スレイが問いかけてきた時、俺はオドラントのダンジョン――というか試験場――の構成に頭を悩ませていた。ダンジョンというか、今はだだっ広い畑があるだけなんだが……植わっているものが問題だ。かたや新種の植物モンスターだし、モンスター化していないサトウキビも洒落にならん勢いで増殖しつつある――数じゃなくて量が、だが。
『ご主人様、シュレクのダンジョンの方は如何なさるおつもりでございますか?』
『うん? たっぷりと脅しを利かせておいたし、当面はあのままでいいんじゃないか? あそこは毒特化のダンジョンだから、そうそう侵入しようとする物好きもいないだろう?』
『ですが、先日のオドラントの戦で、テオドラムは無視できぬ被害を被りました。特に魔石はこの国では入手しづらいものでございますから、シュレクのモンスターで補給しようと言う安易な考えを持つに至りはせぬかと。鉄鉱山であった頃の地図は持っておりましょうから、尚更に……』
ふむ……。スレイの言う事にも一理あるな……。
『王家が何か手を打ってくる可能性がある、そう考えておいた方がいいか』
とは言ってもなぁ……。あそこは毒に特化したダンジョンだし、モンスターも毒持ちか毒耐性持ちに限られるんだよな……。鉱山の坑道をそのまま使ってるから、迂闊に掘削とか拡張とかやると崩落しかねんし……いっその事、崩落トラップでも作ってやろうか……。
『とりあえず、ゴーストたちを強化しておくか。それから……』
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国事に関わる有力貴族が居並ぶテオドラム王城内の一室で、国王が商務卿からの報告を受けていた。
「むぅ……小麦ばかりか塩までもか……」
「はい。愚かな他国の商人どもは、こちらがいくら安全だと説明しても聞き入れようといたしませぬ。たまさか買おうとする者は、話にならぬ額面での取引を持ちかける者ばかりで……」
「砒霜の話が漏れたのは、返す返すも痛恨事であったな」
「御意。一体どこから漏れたものか……」
「しかし、実際に砒霜の害は確認されておらぬのであろう? ヴォルダヴァンとモルヴァニアの二国にも、そのように説明したのではなかったか?」
「はい。ですが今度はシュレクにできたダンジョンが呪い持ち・毒持ちである事が漏れたようで……呪いや毒が周囲に広がるのではないかと……」
「愚かな……。そのような事があれば、疾うに目に見える被害が出ておる筈であろうが……言うても詮無き事か」
「はい。下郎どもには道理も通用いたしません」
「まったく、忌々しいダンジョンだ」
「下々の者は『怨毒の廃坑』などと呼んでおるようでございますが」
輪をかけて不機嫌になった国王の様子を見て、軍需卿が躊躇いがちに切り出す。
「……陛下、そのダンジョンでございますが……」
「何かあるのか?」
「先の二個大隊失踪の件で、軍需品としての魔石が逼迫しております。件のダンジョンから得る事は叶わぬものかと……」
軍需卿の提案に反応したのは商務卿。彼は国内の商業活動の動きを通じて、シュレク周辺の状況を知り得る立場にあった。
「馬鹿な。あの場所は毒気が充満しており、近づくのすら憚られるのだぞ? 卿もそれは知っていようが?」
「だが、逆に言えば毒さえどうにかすれば何とかなるのではないか?」
「どうにか」できれば「何とか」なる。内政の実務を担う者の発言としては呆れるしかないが、この時の軍需卿――と、その他の国務貴族――はそんな暴言をかますほどに、心情的に追いつめられていたのである。
そんな中、軍需卿の発言に反応したのが国王である。
「ジルカ卿、『どうにか』できる算段でもあるのか?」
ジルカ卿と呼ばれた軍需貴族は、ちらと視線を軍務卿に向ける。軽く頷いて、軍務卿が話を引き取る。
「畏れながら申し上げます。先日、開発本部の者が防毒の面なるものを持って参りました。これを装着しておけば、少なくとも呼吸をする事で身体に取り込まれる毒は防ぐ事ができる筈と申しております」
「実際に通用するか、確証はないのだな?」
「それは……はい。遺憾ながら」
ここでジルカ卿と呼ばれた軍需貴族が、望みを得たように発言するが……
「冒険者を使っては如何でございましょう」
「馬鹿な。やつらとて我が身は可愛かろうよ。引き受けるとは思えぬ」
……商務卿に一蹴される。
だが、ここで別の貴族がボソリと発言する。
「先頃シュレクの鉱山から逃げた犯罪奴隷どもは捕らえている筈。あやつらに試させるのは?」
その発言を受けて、国王が裁可を下す。
「よし、それでいこう。魔石による通信機を持たせた上で、防毒面装備の犯罪奴隷どもを送り込め。どうせ使い捨てても惜しくない者ども。ダンジョンの様子が少しでも知れれば元は取れよう」
「御意」
国務貴族たちが揃って頭を下げる中、退室しようとした国王が、ふと振り返って指示を追加する。
「売れなんだ塩の件だがな、採掘した年月を記録した上で年ごとに保管しておけ。今後も砒霜の害が出ぬなら、古くに掘られたものほど汚染の可能性は少ない筈。国内で消費するにせよ、他国に売るにせよ、安心できるものほど価値は高くなろう」
はっと低頭する貴族たちを尻目に、今度こそ国王は部屋を後にした。




