第七十八章 砂糖 6.畑の拡張
二種類の砂糖が味の点で甲乙付け難いとなると、生産性か何かで決めるしかないか。マンションの自室で、起き抜けにそんな事をぼんやりと考えていた俺は、自室の鉢植えに鎮座するハイファからの念話で目を覚まされた。
『ご主人様……申し訳……ありませんが……試験場へ……お越し下さい』
『ハイファ? 何かあったのか?』
マンションにまで連絡してくるのは余程の事だ。着替えもそこそこにオドラントの試験場に転移する。
『何だ……これは……』
目の前にあるのはサトウキビの畑。ただし、飽和状態になりつつあるが。ちらりとシュガートレントの畑に目をやると、こちらも負けず劣らずの成長ぶりだ。尤も、シュガートレントの方は上方にも盛大に伸びているが。
『危険レベルに……までは……達しなかったので……緊急連絡は……しませんでしたが……早めに……お越し……戴きたくて……』
『……そうだな……』
さすがに不安になったので鑑定してみたが、モンスターなのはシュガートレントの方だけで、サトウキビは単に植物となっていた――この「鑑定」スキル、本当に信用できるのか?
『こんな育ちっぷりだと、とてもじゃないがダンジョンの外には出せんぞ……』
『いえ……それが……こちらを……ご覧……下さい』
ハイファが指し示す先には、膝丈程度のサトウキビ。こちらはまだ常識的な大きさだな。
『茎を……数本……切り取って……挿し木したものは……普通程度にしか……成長しません』
『とすると……初代株だけが異常なのか?』
『ですが……根をつけて……株分け……したものは……あのとおりです』
ハイファが示す先には、初代に負けず劣らず育ったサトウキビの大株があった。どういう事だと悩み始めた矢先に、ハイファの忠告があった。
『原因の……究明は……後で……このままでは……畑が……足りなく……なります……刈り取りと……搾汁だけでも……やって……おきませんと』
……確かにそうだ。しかし、「樫の木亭」に泊まっているから、いつまでも起きてこないと怪しまれる。先に「樫の木亭」で朝食を摂ってからだな。
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「樫の木亭」でいつもどおりの朝食を摂って、何気ない風を装って宿を出る。人目を避けて一旦洞窟に転移後、直ちに従魔たちを連れてオドラントの試験場に転移。皆と善後策を協議する。爺さまや他のダンジョンの面々にも、念話と通信の魔石を介して参加してもらう。
『……というわけでこの騒ぎだ。とりあえず、これ以上大きくなる前に刈り取って搾汁はするつもりだが……その後はどうしたもんだろうな?』
『案の定やらかしてくれおったのう……』
いや、俺のせいなのか? これ。
『ご老体……今は……善後策の……協議が……先です』
『……そうじゃな。まずダンジョンから出す事ができんのは確定じゃな』
『いや、それがな……』
ハイファが行なった一連の実験結果を報告する。
『……すると問題は、初代株と株分け苗、トレントに限られるわけでございますか』
『狭苦しそうだし、植え替えてあげた方がいいんじゃないですか、主様』
『あぁ、それについてだが、ちょっと見てくれ』
俺は皆に初代株の根もとを示す。
『このとおり、どの株も五十センチ以上には近づいていない。ハイファによると、根も絡まったりはしていないようだ』
『お行儀、いいですぅ』
『……まぁな。で、だ。植え替えるのは楽そうなんだが……今後を考えると、サトウキビ、殖やした方がいいと思うか?』
全員が考え込んだ。
『……マスター、これって、どこまで、大きくなるんですか?』
『全く判らん』
俺は力強く自信を持って答える。
『……クロウ様、それが判るまでは殖やすのは思いとどまられた方が……』
『……兄の言うように、殖やすのではなく、育てるだけにしてはどうでしょうか』
『殖やすとしても、挿し木苗のほうだけじゃろうな』
その後、皆であれこれと討議した結果、ここの畑を大きく拡張して、初代株を離して植え替える事になった。株間の距離は、これも一頻り揉めたが、大は小を兼ねるという事で、結局は五十メートル間隔という事に落ち着いた。なお、挿し木苗の方は別の畑で栽培する事になった。
『閣下、シュガートレントの方はどうしますか?』
聞いてきたのはピットのダンジョンコアであるフェルだ。
『初代株もトレントも、どこまで大きく育つか判らんからなぁ……別の階層に植え替えた方が無難か……。フェルはトレントには詳しいのか?』
『いえ、全く。抑、ダンジョンに生えるようなものじゃありませんから』
『それもそうか……』
一応皆の同意を得た後で、下に階層を追加して畑を造る事にした。念のために階層三つ分を追加しておく。
『ウィン、済まないが、ここの畑の拡張が済んだら、下の階層にも畑を造ってくれ。子供たち、それにピットの土魔法持ちと協力してな』
『お任せ下さい、主様! みんな、ちゃっちゃとやるよ~っ』
大張り切りのウィンたちの活躍で、瞬く間に全ての階層に畑ができてゆく。その後で、広がった畑に初代株を植え替えていく。ピットから応援にやってきたスライムたちに水やりを頼んでおく。
『……これだけ株間が離れていると、ちょっと畑には思えないな』
『明日にはびっしり埋まっているかもしれませんよ? マスター』
……キーン、日本には言霊信仰と言うものがあってだな……。不吉な予言はしないでくれるか?
『……そうでない事を祈ろう』
ウィンたちから下の階層の畑が準備できたという連絡が入ったので、シュガートレントの植え替えに取りかかる。モンスターだからひょっとしてと思い、広い場所に植え替えるから協力してくれと念話で話しかけると、同意の意思が届く。あとはダンジョンマジックの転移を使って、ごくあっさりと植え替える事ができた。根もと周りの土を馴染ませて、ライに水やりを頼んでおく。
『ダバル、フェル、オドラントに昔生えていたというトレントはこんな感じだったのか? 勿論、糖蜜生産の件は措いといてだが』
そう聞いてみたんだが、二名からは済まなそうな思念が返ってくる。
『『済みません、閣下。実物を見た事がないもので……』』
『フェルはともかく、ダバルもか?』
『はい。オドラントの一件は百年以上前の事なので……』
アレロパシーの可能性があるかどうか知りたかったんだが……まぁ、別階層で栽培する事になったわけだし、大丈夫だろう。一応元植わっていた場所の土は調べておいた方がいいか?




