第七十五章 ビール 2.醸造
首尾よく小麦を手に入れて――新しい酒を造ると言ったら、カイトたちが文句も言わずに手配してくれた――オドラントのダンジョンにやって来た。ここはダンジョン化した後は何も手を付けてない。単にだだっ広いだけの空間だから、こういう試験をする場所は有り余っている……ていうか、本当に実験場にしちまうか。俺の構想だと、今後は酒以外にも色々と造るものが多くなる筈だし……うん、悪くない気がしてきた。ま、それは後だ。
ネットや本で調べた手順に従って、小麦――こちらの世界では大麦はあまり栽培されていない――を洗浄、破砕していく。温水に浸して発芽させ、麦芽の酵素で澱粉の糖化を進めてゆく。錬金術で一気に糖に変える事もできるが、先々の事を考えると、まずは普通の方法で造ってみたい。
糖化が進んだら濾過してゴミなどを除去し、得られた麦汁を煮沸して、糖化酵素を失活させると同時に麦汁を濃縮する。今回はエールじゃなくてビールを造るので、この過程でホップを添加するわけだ。煮沸時間は……原料とかホップの種類とかで色々ノウハウがあるんだろうが、今回は試しという事でとりあえず一時間にしておく。煮沸を終えたら少し冷まして、発酵の過程に移る。蒸溜酒を試作した時と違って、今回はちゃんと酵母で発酵させてみたい。……上面発酵と下面発酵の違いがよく判らんしな。蒸溜酒の時も本当はちゃんと酵母で発酵させた方がよかったんだろうが、まあ、あれは蒸溜の試験みたいなものだから……。
さて、発酵で最も重要なのがビール酵母なのだが……これが一番難題だった。既存の製品との差別化を考えると、上面発酵のエールタイプではなく、ピルスナーのような下面発酵のラガータイプがよさそうだ。ラガーなら季節的にも丁度いい時期だしな。しかし、こっちの世界で見かけないタイプだという事は、該当する酵母を入手するのは困難って事だ。そうなると地球世界から、という話になるんだが……地球世界の酵母で醸造した酒って……変な効果が付くんじゃないのか?
悩んだ挙げ句に俺が考えついた解決法は、次のようなものだった。
①錬金術の発酵スキルを使う。
②今回は実験だという事で、地球世界で入手したビール酵母を使う。
③健康食品として売られている乾燥酵母|(エ○オスなど)に死霊術を行使して、こちらの世界で――酵母菌のアンデッドとして――復活させる。あれも元は使用済みのビール酵母の筈だからな。
④こちらで本格的に醸造――亜人に頼むつもりだが――する場合は、自分たちで適切な酵母を探してもらう。
①は真っ先に棄却された。こっちの世界の発酵でできたエールと違うものを造りたいのに、どんな発酵をするのか判らん錬金術を使う理由がないからな。場合によっては、亜人たちの手を借りて量産する可能性も考えておきたい。つまりはビール酵母を使った発酵になるわけだが……当座の選択肢は②と③か……。
正直言って、③はできるのかどうか物凄く著しく甚だしく疑わしかったのだが……何事も実験だと考えて――暴走してとも言えるか――試みたところ……できちゃいました、てへ。
暫く呆然としていたように思うが……とりあえずこの二種類の酵母を使ってビールを仕込んでみる。……アンデッドの酵母で造った酒か……。黙っていれば判らんよな、うん。
……気を取り直して……低温でゆっくりと発酵させるのが下面発酵の肝らしいが、幸いにしてここはダンジョン内だから、温度を涼しく保つのに苦労はない。亜人たちに造らせる場合は、洞窟のような場所を使えば問題ない筈だ。
発酵が全て終わった段階で混濁の原因となる蛋白質などを除去するんだが……普通にやると炭酸ガスが抜けるよな。炭酸ガスが抜けるとビールの味が台無しだ。砂糖があれば保存容器に少し入れて追加発酵させれば、炭酸ガスを充填できるんだが……。こっちの世界でその辺どうやっているのかは知らんが、今回の試験醸造では錬金術で濾過しておけばいいだろう。
出来上がったらカイトたちに飲んでもらって、モノになりそうならホルンたちに相談してみるか。
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……そう考えていたら、仕込んでから四日後にはカイトの奴がそろそろ飲み頃なんじゃないかと聞いてきた。いくら何でも気が早すぎると思ったが、どうやら上面発酵のエールと勘違いしていたようだ。あっちは早ければ二、三日で飲めるからな。
出来上がるまでに最低で一ヵ月だと答えてやったら愕然としていたな。大体、夏場じゃないんだから、そんなに早く発酵が進む筈がないだろう。そういう思いを視線に込めてマリアとフレイの方を見たら、マリアは肩を竦め、フレイは首を横に振る事で返事をした。やっぱりカイトの勇み足か。……酒呑みってやつはこれだから。
とりあえず、この国のエールとは製法が違うし、今は冬だからそんなに早く発酵が進まない事を説明しておく。そんなに恨みがましい眼で見ても、俺のせいじゃないからな。




