挿 話 鮟鱇(あんこう)
師走の声を聞くようになったある日、鮮魚コーナーを見ていると珍しいものが目に入った。鮟鱇の大物、しかも一匹丸ごとだ。ぶつ切りにしたものがパック詰めにされて出る事はあるが、丸々一匹が店頭に出るのは珍しい。
俺一人なら素通りするところだが……こういう変わりものがあればうちの子たちに食べさせてやりたい。少し早いかなとも思うが、店頭に出る事自体がそう多くないからな。鮮度もいいし、結構大きいから味見程度なら全員分に足りるだろう。追加の魚はクリスマスシティーの試験航海の時に漁獲したものがまだ残ってるし……冬の鮟鱇鍋は風物詩だよな。と言うわけで、購入決定。
身がぐにゃぐにゃぶよぶよと柔らかすぎる鮟鱇は、皮膚に滑りがある事もあって、そのままでは手応えが無さ過ぎて切りにくい。なので鉤に吊した上で口から水を流し込み、膨らみきった状態で庖丁を入れる。これがいわゆる鮟鱇の吊し切り。我が日本の冬の風物詩。一度は皆に見せたかったんだよな。実家でやった事があるとはいえ、皆の前で実演するほど慣れているわけじゃないが……可愛い眷属たちのためだと思って頑張るか。
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洞窟組を連れてクレヴァスに転移。ダンジョンマジックを使って天井から鉤を吊して……本来ダンジョンマジックってのはこんな事に使うものじゃないという気もするんだが……まぁ、便利だからいいか。うちの子たちも喜んでる。ダンジョンマスターとしては正しい行為の筈だ。あとはバケツに水を入れて、と。
『何が始まるんですか? マスター』
好奇心を抑えかねない様子でキーンが聞いてくる。他の皆も同じ気持ちだろう。
『俺の故郷の料理を御馳走しようと思ってな。冬と言えば鍋料理が定番なんだ』
鮟鱇は如何せん量が少ないし、〆に取っておくとして、最初はクリスマスシティーの試験航海で獲った雑魚から始めるか。
鱗を落とした雑魚たちをぶつ切りにして、豪快に鍋に放り込んで煮立てる。醤油で味を調えて……うん、こんなもんだろう。味見をしてみたが、雑魚の割には結構美味い。
さすがに鍋からそのままでは食べられないだろうから、大きい皿を幾つか用意して、ほぐした身と汁をつぎ分けていく。
『マスターっ、僕っ、こういうの初めて食べました!』
そうか、よかったなキーン。だが食べ過ぎないようにな。まだ真打ちが後に控えてるんだから。
洞窟組とクレヴァス組の面々が、わいわいがやがやと鍋をたいらげて……って、肺魚は大丈夫か? 気を悪くしたり……え? 小魚を食べるのは当たり前? 大物を食べたのは初めてだが、気分がいい? そうですか……。
『さて、小腹が膨れたところで本日のメインイベント、鮟鱇の吊し切りだ』
従魔たち全員の視線がこちらを向く。魔道具を通して見ているダンジョンコアたちの意識も釘付けみたいだな。
皆の注意が集まったところで、携帯ゲートから鮟鱇を取り出して鉤に吊す。と、一同からどよめきが上がった。
『マスターっ、何ですかっ、それ!?』
『え? 口だけのモンスター?』
『これも……魚……なのですか?』
『え? 魚!? 嘘……』
『あの……クロウ様……これは?』
さすがに驚いているようだな……。簡単に説明しておくか。
アンコウは泳ぎが下手なため、魚を追い回して捕らえる事ができない。代わりに海底の砂に潜り、頭部の突起を水中で揺らして、これを餌と思って寄ってきた魚を丸呑みにして捕食するのだと言うと、一同あんぐりと口を開けて驚いていた。
『何というか……まるである種の植物モンスターのようですね……』
『そうだな。けど、こちらの世界にもいるんじゃないか?』
『どうでしょうか……少なくとも私は初めて見ました』
『このような形ですからな……食用と思われなかったのでは……』
あぁ、それはあるかもな。網にかかったその場で捨てていたか……。
『ならば、本日その認識を改めよ。いざ! 本邦初公開、鮟鱇の吊し切り!』
大きく開いた口に柄杓でどばどばと水を注ぎ込むと、鮟鱇の腹がぷっくりと膨らんでゆく。
『鮟鱇って魚は身が柔らかすぎて切りにくいからな。こうやって皮がピンと張った状態にしてから庖丁を入れるんだ』
説明しながら庖丁を入れ、いわゆる鮟鱇の七つ道具――肝臓・卵巣・胃・えら・ひれ・皮・肉――を切り分けていく。泥臭さをとるためさっと熱湯にくぐらせてから水に曝し、野菜と一緒に割り下で煮込んでいく。
『お? こいつは当たりか? 胃の中に未消化の小魚が入っている』
勿論一緒に煮込むとも。
『さて、量が少ないから一人一品一口ずつだ。しっかりと味わえよ』
「海のフォアグラ」とも呼ばれるあん肝は、従魔たちにも大好評だった。うん? 〆は勿論雑炊だよ。




