第六十五章 テオドラム 5.余波~aftermath~
イラストリア王国の国王執務室では、いつものメンバーが真剣な顔で討議を進めていた。
「……では、テオドラムの侵攻の気配は無くなったと?」
「はい。サウランドにあからさまな牽制を仕掛けてきたりと、ヴァザーリ辺りを狙っているのかと思いましたが……どうも動きがちぐはぐで……」
「ま、仮にヴァザーリかリーロット辺りを狙って仕掛けてきても、予め移動させておいた一個大隊であしらえた筈だがな」
「それに加えて、街道を外れた部分はわざと凹凸をひどくしてあるからのう、彼の国の騎兵と戦車も苦労した筈じゃ」
「あの国は基本力攻めですから……初動さえ見落とさなければ難しい相手ではありません。我が軍の移動速度を過小評価してくれているようですからね」
「ふむ。大隊の駐屯地の間に民営の牧場や替え馬の宿場を設けておいて、有事の軍の移動速度を上げる。軍だけに目を向けていては気づきにくいであろうな」
「それとても、常日頃から隣国の動きを監視している諜報部隊あればこそ活きてくる策です。平時の戦というものがいかに重要かを教えてくれますな」
イラストリアの諜報組織についてはクロウも予想はしていたが、その力量がどれほどのものかは知り得なかった。また、騎馬・戦車対策や民営に偽装した牧場、替え馬の宿場などは完全に予想外であり、結果としてクロウもテオドラムと同様に、イラストリア軍の力量を過小評価する事になったのである。
「ただ……先ほども申し上げたように、テオドラムの動きが奇妙なのも事実です。諜報部隊の調べによると、テオドラムが我が国の南部を狙って別働隊を動かしたのは事実のようですが……その兵力がどこへ行ったのかが判りません。テオドラム側も混乱しているようで……確たる情報が入ってこないんです」
「ダンジョンができたとかドラゴンが出たとか言ってなかったか?」
「ダンジョンの件は確かなようです。ドラゴンについては……見たという話はあるんですが、それ以降の所在が不明で……」
「そのドラゴンが侵攻部隊を襲ったんじゃねぇのか?」
「だとしても、数個大隊規模の軍勢が消えたりしますか?」
「……ねぇな。どっちかっつーとドラゴンの身が危ねぇわ」
「しかし……ドラゴンが一頭とは限らぬのではないか?」
「ドラゴンの目撃情報はダンジョンの一頭のみ。他の場所では見られていないようなのですよ」
「ふむ……奇態な話だの」
首を捻る一同であったが、宰相がぽつりと言葉を漏らす。
「Ⅹ……という線は考えられぬかな?」
「……なぜ、そう思うのじゃ?」
「ヤルタ教がテオドラムに教会を建てたと聞き及びましたので……ひょっとして、と」
「いくらヤルタ教が憎いっても、そこまでしますかね?」
「いえ……そう言えば、テオドラムは亜人の奴隷を買い漁っていました。何か我々が知らぬ繋がりがあるのかも知れません」
「神出鬼没のドラゴンってのも、Ⅹが関わってんならあり得ますな」
「とすると、ダンジョンの件もちと怪しくなってくるのう……」
「……テオドラムの情報を、幅広く集めてみますか」
「そうしてもらった方がよいようじゃな」
・・・・・・・・
ニルの町の冒険者ギルドでは、ギルドマスターを中心として職員たちが意見を戦わせている。その中に混じって、王城から派遣された軍人が熱弁を振るってている。
「……問題は、ここに来る筈だった二個大隊がどこに消えたかだ。オドラントの辺りは、それこそ虱潰しに探したんだが、何の痕跡も見つからなかった」
「だが……ピットのダンジョンからモンスターが出てきた気配は無い。少なくとも、ニルではモンスターなど一匹たりとも確認していない。ただ……」
「ただ? 何かあるのか?」
「いや……恐らく問題の日の前後に、南の方からえらく派手な雷が聞こえた。これについちゃ俺も聞いてるから確かなんだが……いくら考えてもモンスターの声たぁ思えねぇんだ」
「だが、他に異常が無いんなら、それを取っかかりにするしかない。嵐というわけじゃないんだな?」
「嵐じゃねぇ。そいつぁ確かだ。先に言っとくが、夜の闇に紛れてモンスターが南下したとも考えられん。俺たちゃそこまで盆暗じゃねぇ。第一、雷が聞こえたなぁ真っ昼間だ」
「モンスターたちが待ち伏せていたとは……」
「あのな、お前さんもオドラントを通ってきたんだろ? ドラゴンが隠れられるような物陰があったか?」
「確かに……。では、空から急襲して……」
「それを警戒するために飛竜がいたんだろうが。飛竜百頭と正規軍二個大隊が何の連絡もなく消えたってんなら、ドラゴンの五頭や十頭にできるこっちゃねぇ。こいつぁ首を賭けてもいいぜ」
「だとすると……二個大隊を消した何かは、今もテオドラム国内にいるって事になりませんか?」
恐る恐るという口調で、若い職員が口を挟む。
「……結論としてはそうなるな」
「……冗談じゃない。シュレクのダンジョンだけでも手一杯なんだ。これ以上そんな化けもんを相手にできるか……」
「案外、そのダンジョンが原因じゃねぇのか? ゴーストがしこたま湧いて出たってぇじゃねぇか」
「いや、いくら数が多くても、所詮は死霊に過ぎん。二個大隊を屠るほどの力は無い筈だ」
シュレクのダンジョンから湧き出した怨霊については、彼の地で命を落とした者の地縛霊らしい事が判っており、個々の力量から言って二個大隊を消滅させるほどの力は無い筈だと軍人は説明した。
「そう言えば……」
「何だ?」
「いえ……噂なんですが、イラストリアで見つかった『封印遺跡』が何を『封印』していたのかって話がありまして……」
入口が封印されていたから「封印遺跡」と呼ばれたのだが、いつの間にかあの遺跡は何かを「封印」していたのだという噂が流布するようになっていた。ほとんどジョークか都市伝説のノリであるが、ここテオドラムではそのあたりの機微は判らない。普通に情報として扱われていた。
「あぁ、そんな話を聞いたような気もするな。で?」
「いえ……聞くところではあそこは軍事施設だそうですから、戦争に備えて……亡霊兵団みたいなものが封印されていた……なんて事はありませんよね?」
自信なげな若い職員の発言に声もない一同。
「……じゃ、じゃあ、この一件は、イラストリアによる先制攻撃か?」
「いや、それよりもだ、もしそうならイラストリアはどうやってこちらの動きを掴んだ?」
「情報が漏れたていというのか!?」
「落ち着け! 今はまだ未確認の仮説に過ぎん。先走るんじゃねぇ!」
ギルドマスターの一喝でやや落ち着きを取り戻したものの、依然としてざわつきは収まらない。軍から派遣された男は、自分が厄介な話を持ち帰る羽目になった事を確信し、我が身の不運を嘆いていた。




