第六十三章 ヴィンシュタット 1.マナー
「駄目よ。姿見は絶対に必要。これは譲れないわ」
男性陣四名を向こうに回して一歩も引かずに宣言しているのは、アンデッドの女性魔術師マリアである。
「……ったってなぁ、んなもん何につかうんだよ?」
「身だしなみを整えるために決まってるでしょう? カイト、あんたもここじゃ若様って事になるんだから、人並みに気を遣いなさい」
「あの……それじゃぁ、姿見は全員が使える場所に置くんですか?」
「フリン、あなた、月に何回姿見を見る? ダンカンは? ギル? カイト?」
「多分……月に一、二回……見ればいい方かと」
「俺もそんなもんだな」
「見ねぇな」
「俺もだ」
「だったら、一番よく見るあたしの部屋に置くのが筋ってもんでしょう?」
「あの……僕たちが使いたい時には、マリアさんの部屋に入るわけですか?」
「あら、フリン、殿方がレディの部屋に気安く入るもんじゃなくってよ」
「誰がレデ……ふがっ!」
至近距離からエアハンマーを食らったカイトが吹っ飛ぶが、マリアは気にも留めない様子で話を進める。なので、残りの男三名もそれに同調する。
鏡を見て身だしなみを整えろと言っておきながら、月に数回しか見ない者に便宜を図る必要は無いと言い切るあたり、明らかに論理が矛盾しているが……余計な事は言わないに限る。アンデッドだって命は惜しい。
「あなたたちも使う必要があるんなら、もう一台買えばいいじゃない」
「いや、手鏡程度ならともかく、大きな鏡台は結構な値がするんだぞ?」
「いい? ご主人様からのご指示は、目立たないようにする事、よ。こんな大きな屋敷に姿見の一つもないなんて不自然でしょう?」
「……家の中に入れなきゃ判んねぇだろう、そんなもん」
弱々しい声でギルが反論するが、マリアにあっさりと却下される。
「身だしなみが残念な女がいたら、すぐに判るわよ。あんたたちこそ本当に解ってるの? あたしたちは『貴族お抱えの冒険者』なのよ? それ相応の身だしなみや振る舞いが要求されるのよ?」
思っても見なかった陥穽に直面して顔色を変える四名――カイトが復活してきたので――の男性陣。特に、貴族の御曹子という役どころを押しつけられたカイトにとっては深刻な問題である。
「カイトはまぁ……性格がアレって事で誤魔化せるとしても、お目付役を演じなきゃならないあたしたちはそうはいかないのよ?」
助かったと言ってよいのかどうか、微妙な顔をするカイトに対して、絶望の色を深めていく三人。
「貴族並みのマナーを身につけろとまでは言わないけど……」
安堵の溜息が三つ揃う。
「……それでも、少なくとも冒険者として恥ずかしくない程度のマナーは覚えてもらうわよ」
パーティ唯一の女性マリアによる、独裁的教育の幕開けであった。




