第六十二章 テオドラム 1.シュレクの異変
テオドラムにおけるクロウたちの本格的な活動が始まります。
ある者に言わせれば、その日は朝から不吉な気配が漂っていたという。また別の者に言わせれば、その日はいつもと何ら変わった事が無く、だからこそあんな事が起きたのが恐ろしいのだという。
ともあれその日、国の鉱山としてのシュレクの歴史は終わりを告げた。
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いつもと変わらぬ陰鬱な――鉱毒を浴びる事が判っているような仕事に従事させられて陽気なわけがない――作業が為されていた鉄鉱山に突如として瘴気が立ち籠めると、その暗がりの中から大量の死霊が出現した。
たちどころに辺りは阿鼻叫喚の巷と化し、逃げ惑う鉱夫――と兵士たち――とで混乱の極みに達した。
『う~む。さすがに長年にわたって砒素中毒の死者を抱え込んできただけの事はあるな』
『王国が鉄鉱山を開いてからでさえ十年経っていますからね』
『王家に無理強いされた挙げ句、砒素中毒で苦しんで死んだわけですから、怨念は溜まりまくっているんでしょう』
砒素中毒が発生している鉄鉱山――シュレクという地名らしい――にやって来た俺は、ダンジョンマジックで辺りに瘴気を満たした後で、ダンジョンマジックの死霊術のスキルによって地縛霊と化した怨霊たちを顕現させた。その結果がこの騒ぎである。ダバルもフェルも他の仕事で手一杯なので、中継映像で現地の様子を確認しながら俺の相談に乗っているのは、モローのダンジョンコアであるロムルスとレムスだ。
そう話している間にも、行動の奥から倒けつ転びつ走り出てくる鉱夫の数は増える一方で、既に二百名は越えているだろう。兵士が何やら叫んでいるが、鉱夫たちに聞き入れようとする様子は見えない。そんな暇があったら逃げるよな。
『あ……兵士が殴り倒されました』
『あ~あ、踏まれて……大丈夫でしょうか、あの兵士』
『いや……大丈夫じゃないな。今、怨霊に加わった……』
鉱夫たち――かなりな人数が犯罪奴隷なんだろうが――は蜘蛛の子を散らすように四方八方に散って行き、兵士の一部は懸命にそれを追う――振りをして怨霊から逃げて行く。だが、それでもかなりな人数が、鉱山を遠巻きにしてこの騒ぎを見守っている。
『しまったな。これは計算違いだ。さっさと消えてくれないと、中に入って鉱山をダンジョン化できないんだが……』
『外側からは無理ですか?』
『効率が悪いし、万が一後から魔力の動きを調べられた場合、鉱山の外からダンジョン化した事が判ると色々都合が悪い』
『隠蔽の魔術を使いますか?』
『いや……もっと徹底的にやろう』
俺は死霊術によって怨霊たちを更に活性化し、暴れる範囲を広げさせた。それと同時に、鉱山の入口、外からは死角になって見えない部分に新たにアンデッドモンスターを召喚した。それが坑道を壊しながら外に出た途端、先ほどを上回る大叫喚が発生して、遠巻きにしていた群集のほとんどが逃げ去る。
『クロウ様、あれは……』
『ああ。自前の皮は被っているが、二体目のスケルトンドラゴンだ。……よし、ブレス、発射!』
スケルトンドラゴン――自前の皮を被っているので遠目には普通のドラゴンにしか見えない――が咆吼を上げてブレスを吐き、これ見よがしに翼を広げると、残っていた群集も最後の一人まで逃げ去った。折良く日も暮れ始めた。もう中に入っても見咎められる事はないだろう。
俺は鉄鉱山――今となっては、元・鉱山だが――に入ると、ただちに全域をダンジョン化して状況の把握に務める。
『……何とか間にあったな。砒素は地下水にまでは達していないようだ』
そう。俺が作戦を急いだのはこのため――遊離した砒素が環境中に流出するのを防ぐためだ。幸か不幸か採掘の時の土砂や捨石、選鉱の時に使われた水などを貯めた場所は鉄分の多い湿地で、砒素は鉄分と再結合して沈殿してくれたようだ。鉱石を焼いた時に出た煙はどうにもならないが、煙から地表に付着した砒素はまだ地表の浅い部分に留まっており、一部は既に鉄と再結合していた。
俺は鉄鉱山の範囲全体をダンジョンに変え、砒素を周囲から隔離する。その上で周囲の土壌や水中に含まれる砒素を錬金術で抽出して、土壌や水の無害化を進めていく。量が量だけに一朝一夕に終えるのは無理だが、少しずつでもやっていくしかないだろう。抽出した砒素? ダンジョンマスターとしては色々と使い道があるんだよ。
『フェル、聞こえるか? シュレクは無事確保した。通路を開くから、モンスターをこっちに送ってくれ』
『かしこまりました、閣下』
フェルにはここのダンジョンの守りを任せるためのモンスターを調達、訓練してもらっていた。場所が場所だけに、毒耐性の強いもの、毒攻撃のできるものを優先してもらっている。こいつらをここに放ち、鉱山の付近に瘴気と毒気が立ち籠めるようにしておけば、まともな連中は近寄らんだろう。王家が奪回に動く可能性は低いと睨んでいるが、もしやって来れば磨り潰してやるまでだ。
とりあえず、最優先で為すべき事は何とかなったな。この後は少し腰を据えて動くとしよう。




