第五十八章 王都イラストリア 2.テオドラムの災い~砒素~
デリケートな問題を含みます。ご不快の念を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
パートリッジ卿の話を要約すると、その地方の住民は長ずるに従って身体が雨垂れ状に黒ずんできて、手足が角質化し、やがて内臓に腫れ物ができて苦しんだ末に死ぬ者が多いという。それに加えてここ十年ほどは、激しい嘔吐・下痢・腹痛・浮腫などに悩まされる者も増えてきているという。これだけでは原因を絞り込むのは難しいが、先日テオドラムの冒険者が持っていた武器を検分したクロウには思い当たる事があった。
「御前、ここ十年ほどの間に、その地方で鉱山か何かの開発が行なわれませんでしたか? そして激しい病状を訴える者は、その鉱山の近くに住んでいるのでは?」
俺がそう聞くとパートリッジ卿は目を瞠った。やはりそうか……。
「知っておるのかね。確かに十年ほど前に彼の国の肝煎りで鉄鉱山が開発されたが……しかし、風土病自体はそれ以前からあったのじゃが?」
「その鉱山の事は俺も知っている。病気になる者が多いとかで人夫のなり手も減ってきているようで、犯罪奴隷をそれに当てたり、最近じゃ強制的な徴用までやっているようだ」
テオドラムって国はろくでもないな……。
「現地に行った事もないのでこれも推測に過ぎませんが……しばしば鉄と一緒に存在する物質――俺の国じゃ砒素と呼んでいましたが――があって、それを少しずつ長い時間かけて取り込むと、御前の仰ったような風土病の症状が出るんですよ。恐らく土や井戸水に微量の砒素が含まれていたんじゃないかと」
恐らく、内臓にできる腫れ物というのは癌だろう。砒素の毒性の一つに発癌作用というのがあった筈だ。
「この砒素は鉄と馴染みやすい性質を持っていて、当然そこで産出する鉄鉱石にも含まれている筈ですが、砒素の含有量が多いと鉄の品質が下がるんですよ。なのでこれを除去する必要があるんですが、手っ取り早い方法が選鉱の前に焼く事です。その時に出る煙に毒素が含まれていますから、これを大量に吸った人間には当然急性の中毒症状が現れます。採掘の時の土砂や捨石、選鉱の時に使われた水にも毒素が含まれていますから、この水を直接間接に口にした人間にも被害が出るでしょう。もしこの水を川に流していたら下流側にも被害が出る筈ですが、魚の大量死などの被害は報告されていないんですか?」
二人とも俺の話をいささか青ざめた表情で聞いていたが、魚の大量死に話が及んだ段階で、ノリスが口を挟んできた。
「その話は聞いた事がある。王国軍が調査に乗り出して来て、しばらくすると魚が浮く事は無くなったそうだが、関わった者は随分と強く口止めされたらしい。まぁ、事が事だけに完全に噂を封じ込める事はできなかったみたいだが」
「それ以後は魚の被害は無いんだな?」
「その手の話は聞かないな」
「じゃあ、処理水を直接放流する事は止めたんだろうが……効果的な除去ができているのかどうかは疑わしいな。汚染水をどこかに貯めているだけなら、いずれ地下水が汚染される事になるぞ。下流で井戸を使っている地域に被害が及ぶ可能性もある……御前、下痢や嘔吐などの症状を訴える者は依然いるんですか?」
「……少なくとも減ったという話はきかんな」
「ノリス?」
「同じだ。強制徴用に踏み切ったという事は、寧ろ増えているんだろう」
「……だとすると、鉱害の存在を知った上で、何ら手を打たずに採掘を続けているわけか……」
二人の顔色がどんどん悪くなってくるな。まぁ、無理もないが。
「クロウ君、何か治療の手立ては無いのかね?」
「その地にいる限り同じ事です。さっさと逃げ出すのが一番ですね」
「おいおい、勝手に村を離れると罪に問われるぜ? 下手をすりゃ処刑される」
「どうせそこに住み続ける限り苦しんで死ぬんだ。少しでも見込みがあるんなら、身体が動くうちに逃げ出した方がいい。俺ならさっさと国を出るな」
「ただ村を出ただけじゃ同じ事か……」
「さっきも言ったが、鉱毒が地下水を汚染した場合、下流の地域まで被害が広がる可能性がある。逃げるんなら上流だな」
もし知り合いがあの国にいるんなら脱出するように助言しろ、そう二人に薦めておいて話題を変え、ひとしきり歓談した後でその日は二人と別れた。




