挿 話 画伯のファン
「お、何だ、ウォーレン、珍しく本なんか読んでんのか」
第一大隊の屯所に入ってきたローバー将軍は、読書をしているウォーレン卿の姿を見るやいなや声をかけた。ちなみに、ウォーレン卿が読書を嗜まないという意味ではなく――寧ろ読書家の域に属する――勤務中に読書している姿が珍しいという意味である。
「つい最近出たばかりなんですけどね、これがなかなか面白いんですよ」
そう言って掲げて見せた本の題名は「イラストリア王国南部における甲虫類の自然史」R.ホルベック著。そう、クロウが挿絵を描いたあの本であった。
「書いてある内容も実に興味深いんですけどね、私が興味を持ったのは挿絵の方なんです。緻密にして正確、しかも昆虫の姿を活き活きと写し取っている。この画家は天才ですよ」
クロウの知らぬ間に、とんでもない所にファンが誕生していた。
「へぇ……随分な入れ込みようだな」
「こういう、科学的にも正確な挿絵を描く画家は、今までいませんでしたからね。著者も後書きでその事について触れているんですが、簡単にでも現場でスケッチをとっておく事の重要性を教えられたと述べていますよ」
後書きにはクロウが教えた内容やクロウの為人について、簡潔だが要領よく述べられていた。個人情報を秘匿したいクロウが知ったら頭を抱えたであろうが、幸か不幸か彼はまだそこまで読み進めていなかった。なまじ原稿の段階で目を通しているだけに、積極的に読もうとするモチベーションが湧かなかったのである。
「それで、自分たちもこういうスケッチを取り入れたらどうかと思いましてね。オンブリーのように一部の者は既にやっているでしょうが、偵察部隊の者がこういうスケッチの技術を身につけるだけでも、色々と違うと思うんですよ」
「……前線で暢気に絵なんか描いている暇があるかどうかはともかく、ちょいと考えたくなる提案だな」
「実際に描く描かないは別にして、観察力を鍛えておくのは悪くありませんから」
「で? その画家を呼んで教えてもらおうってのか?」
クロウが聞いたら逃げ出しそうな提案を持ち出すローバー将軍。
「いえ……どうも本人が旅に出たようで、再び舞い戻ってくるとしても一年後らしいんですよ。連絡も取りようがないそうでして」
「そいつぁ残念だな。しかし、その画家ってのは、虫専門じゃねぇのか?」
「それが……こっちの本の挿絵も担当してるんですよ。というか、もともとそちらの本を見ていて、挿絵の見事さに惹かれたんです」
そういってウォーレン卿が見せたのが「シャルド古代都市の発掘品とその解説」W.パートリッジ著。これまたクロウが挿絵を描いた本であった。
「シャルド古代都市……って、以前に発掘された三千年前の遺跡ってやつか」
「えぇ。何か参考にならないかと思って読んでみたんです。そっちの方面ではあまり参考になりそうな内容は書いてなかったんですが、こちらもまた挿絵が見事でして」
「ほう……」
パートリッジ卿の報告書を手にとってその挿絵を眺めたローバー将軍は、思わず唸り声を上げた。ただの壺や短剣でしかない筈のものが、正確な中にも何ともいえぬ妖しさをもって迫ってくる。光と影の使い方が絶妙なのだ。
「……なるほど、大した画家のようだ。こんな絵なら自分の部屋に飾っておきたくもなるな。……注文とかは出せんのか」
「私もそれは考えたんですが……どうも本人にとっては余技のようなんですね。著者二人ともが、依頼を受けてもらうのに骨を折ったような事を書いていますから」
「目立ちたくないってんなら、案外貴族の一員なのかもな。名前は……クロウか。覚えておくか」
目立たず知られず騒がれずをモットーにしてきたクロウであったが、ここへ来てとうとう名前を知られるようになった。しかも、この二人だけというわけではなく、著者二人の所に問い合わせが続出していたのである。二人とも、クロウの個人情報と言えるものについては決して漏らさず、また、安易に仲介を請け合ったりもしなかったのは立派であったが。
望まぬ名声がクロウを捕らえようとしていた。
明日は本編に戻ります。




