第五章 ダンジョン 4-2.還らずの迷宮(その2)
生々しくはありませんが、人が死ぬ描写があります。苦手な方はご注意下さい。
勇者カイトは忌々しい窪地に戻る途上にあった。仲間とはぐれた事が確実になった以上、単独行動するよりも合流を目指すべきと判断したのである。三人組も同じような判断をしていたが、複雑に枝分かれした道を闇雲に突っ走って来たため道に迷っていた。カイトが通ってきた道は幸いにも面倒な分岐が無かったため、戻るのは比較的容易であった。
抜き身の剣を片手に提げて進むカイトの先に、仄かな明かりが見えた。
「止まれっ! 誰だ!」
「その声はカイトか? 無事だったか?」
「ダンカン! 他のみんなは?」
「いや、俺だけだ。一体何があった?」
二人はここまでの状況を話すが、その内容はほとんど同じ――何が何だか判らない――であった。
「俺が焦って騒いだりしなければ……」
「いや、カイトの判断は間違ってない。俺も妙な頭痛と震えを感じた。あのまま止まっていたら命取りだったろう」
二人組は相談の上、カイトが来た道を先に進もうという事になった。元の窪地に向かうのは、他の面々が窪地に戻っているかどうか、いやそれ以前に来た道を辿れるのかどうかすら不明な以上、時間の無駄だと判断された。そもそも窪地自体が脱出路に通じているのかすら不明なのだ。ダンカンの通った道を選ばなかったのは、分岐が多く戻れるかどうか自信がないとダンカン本人が白状したからである。他の仲間の無事を祈りつつ、二人は歩みを進める。
「少し広くなったが……何か妙な臭いがしてきたな。どうする?」
「戻ってもしょうがないんだ。注意して進もう。あからさまな異臭がする分、さっきの窪地よりは真っ当かも知れん」
異臭の正体は石油である。火山ガスの誘致には失敗したが、ダンジョンのある場所には――豊富とは言えないものの――含油層があったので、これを利用した罠を考えたのだ。罠といっても、通路に細い溝を幾つか掘って石油を流しただけだ。石油と同時に少しばかり天然ガスも得られたので、可燃性の袋に詰めたものを岩に偽装して置いてある。正直、石油臭があからさま過ぎて、引っかかってくれるかどうかはバクチみたいなもんである。
「ちっ! ケイブバットの群れだ!」
「弱いが毒持ちだ! こんなダンジョンで痺れ毒食らうのは面倒だぞ!」
「狭くて剣が振れねぇ! 魔法で一気に片づける! ファイヤーボール!」
『おいっ! あの馬鹿勇者、よりにもよって床に石油の溜まっている小部屋で火球をぶっ放したぞ!』
『うわぁ……一面火の海ですね……あ、天然ガス?とかいうのが詰まった袋に引火しました。……次々に爆発した……凄い』
「畜生っ! やっぱり罠かっ!」
『いや、罠だと思うなら自重しろや。何考えてんだ、勇者?』
『クロウ様、勇者の勇者たるゆえんは、その勇気にあるのです。賢さや用心深さではありません』
『馬鹿が炎に囲まれている今が好機だ。足止めを急げ』
クロウの魔力で蘇ったせいか、ダンジョンコアのロムルスとレムスはダンジョンを操作する能力に長けていた。さながらクロウの「壊れたダンジョン」スキルを一部委譲されたかのようで、ダンジョンの床や壁を自在に動かせる。通路の壁を塞いで何もないように偽装したり、その反対に塞いでいた通路を開放したり、ダンジョン内では魔力を隠蔽したりもできる。言うまでもなく、勇者一行が帰り道を見失ったのも、この能力のせいである。
クロウの指示に従って、あちこちでダンジョンの床が急にせり上がる。不意に足場を乱された二人は脱出もままならない。燃え上がる炎は酸素を消費し、脳の働きを奪ってゆく。
『あっ、壁役が足をとられて転びました』
『よしっ、上半身のある位置に穴を開けろ。穴の中で逆立ちしてもらおう』
不意に開いた穴の中に頭から突っ込んでもがくダンカン。重い鎧を着込んでいたのが災いして、穴から抜け出す事ができない。そのうちに火のついた石油が穴の中に流れ込んで、頭から炎に包まれる。穴から飛び出ていた二本の足はしばらくじたばたともがいていたが、やがて動かなくなった。
『わはは、とんだ犬神家だな。いいざまだぞスケキヨ君』
『クロウ様、スケキヨって何ですか?』
カイトは走った。脇目もふらず走った。後ろを振り向くゆとりなど無かった。
だから、ダンカンがいない事に気づいたのはずっと後だった。
「お~ぃ、ダンカ~ン、どこだぁ~」
カイトの呼び声が空しく響く。ダンジョン内で大声を上げるのは禁物なのだが、今はそんな事を気にする余裕は無かった。カイトはふらふらと歩みを進める。あの火炎地獄に戻るつもりはない。ダンカンもきっと無事に脱出した筈だ。金属鎧を着込んでいるんだから無事に違いない。そう自分に言い聞かせて、再び一人となったカイトはダンジョンを彷徨う。あてもなく、重い足取りで。
異世界に来る以前の烏丸良志なら、人の死を見て嗤うような事はありませんでした。ダンジョンマスターのクロウとなった事は、本人は意識していないようですが、精神構造にも若干の影響を及ぼしているようです。




