挿 話 ヤルタ教への使い
今回も挿話ですが、今後の展開の上では重要なエピソードになります。
「……では、何卒よしなに」
「貴方にヤルタ神のご加護があらん事を」
ヤルタ教中央教会の一室で、教主ボッカ一世は男との会談を終えた。
名前も所属も一切不明のその男は、自分の事を隣国の使いだと言った。もしヤルタ教が隣国テオドラムでの布教を望むのであれば、自分たちはそれに協力する用意があると。
捉えどころのない笑みの奥で、あの男は何を考えていたのか。それをボッカ一世は考えていた。
「教主、あの者の言う事をお聞き入れに?」
いつのまにか傍に控えていた男――教主の腹心の一人である――がもの言いたげにそう問うた。
「テオドラムに教会を建てる件はな。何も問題あるまい?」
「彼の国が布教のみを目論んでおるとは思えませんが」
「今になって急に我らに接触してきたのには、然るべき理由がある筈、そう言いたいのであろう?」
「御意」
教主はゆっくりとした動きで愛用の杯に酒を注ぐと、もう一つの杯にも酒を満たし、そばにいる男に手渡した。男は頭を下げて感謝の意を表すと、互いに杯を掲げて乾杯する。
「恐らくはバレンやヴァザーリを襲った者ども……仮にバトラの手先と呼んでおる連中の件であろうよ。テオドラムは覇権主義の傾向が強い。隣国に得体の知れぬ戦力が存在するとなれば、作戦遂行上色々と不都合、そう考えておるのじゃろう」
「……作戦とは?」
「この国を征服する事に決まっておろう」
教主は事も無げにそう言ってのける。
「……教主におかれては如何なさるおつもりか?」
「ヤルタの神は、人間が亜人を善導する事は奨励しても、人間同士争うなどという愚行は喜ばれぬ。我らの為すべき事など決まっていよう?」
「では……」
「ヤルタの神の正しき教えを広めるのが我らの務め。幸い、テオドラムの者たちも同意してくれておるようだしな」
教主は薄く嗤うと杯を空け、追加の酒を注いだ。
「無駄な争いを避けるべく、また、起こさせぬべく務めよ。場合によっては、この国に貸しをつくる事もできよう」
二杯目を口にしながら、教主は矢継ぎ早に指示を出す。
「新たな教会の落成を待たずに布教に入れ。ただし、避戦的な言動は、信者の数が充分に増えるまでは慎め。あくまで人間の優位性を説き、優れた者は愚かな行動を取らぬものだと諭すにとどめよ。また、それとは別に、現在テオドラムの民衆が抱えておる問題などを仔細に調べ上げよ。教団が向き合うべきは常に民じゃ。ふんぞり返った国王などではない」
「御意」
腹心の男は最大限の敬意をもって教主の下命に応えた。教義については色々と問題のあるヤルタ教であったが、その教主が一廉の人物である事は、立場を問わず衆目の一致するところであった。
明日からは新展開になります。




