第五十三章 波紋 6.ヴァザーリ伯爵領
ヴァザーリ伯爵の行く末です。
ヴァザーリを覆う雰囲気――亜人を迫害するものには災いが降りかかる――を、市民以上に深刻に捉えたのは奴隷商人たちであった。何しろ狙われそうな最右翼である。前回の亜人による奴隷強奪――奴隷商人の視点では、あれは私財の強奪である――はともかく、勇者のアンデッドやスケルトンドラゴンとなると対処のしようがない。あんな化け物が出た――そして以後も出るかも知れない――ヴァザーリへなど行く気がしない。マーベリック卿の講演が事実なら、自分たち奴隷商人が狙われるのは確実ではないか。
亜人の奴隷売買を止めればよいのに、それをしないのが業の深いところ……とは軽々に言い切れない。何しろ既に亜人の奴隷を抱え込んでいる者が大半なのだ。今となっては亜人の奴隷は財産ではなく危険物だ。さっさと売り払った方が無難……と考えた者が少なからずいたようで、奴隷市場における亜人奴隷の値段は底を割る勢いで下がっていった。
亜人奴隷の値が下がり、奴隷商人が近寄らなくなれば、奴隷売買の都としてのヴァザーリはその価値を失い、単なる地方の一交易都市に成り下がる。スケルトンドラゴンの出現以来、ただでさえインチキ宗教やら詐欺師やらが横行して治安が悪化しているのだ。奴隷商人でない普通の商人でも、立ち寄るのを敬遠したくなる状況である。必然的に訪れる商人――奴隷商人に限らない――の数は減り、取引額も減少する。それは、領主に入る租税が減るという事に他ならない。
こうなると当然、奴隷売買の仲介で財をなした領主の力も低下する。加えて市民たちの心情は、自分たちを危機に陥れた――ほとんど言いがかりだが、市民たちの観点ではそうなる――領主に対して、お世辞にも好意的とは言い難い。まして領主は町の再建や混乱収拾の費用のために、新たな徴税をするようだとの噂が流れていた。市民にしてみれば、領主の不手際のツケを自分たちが払わされるという思いを拭えない。領主への反感は募る一方である。今のところ暴動にまで発展しそうな気配は無いが、状況次第ではどう転ぶか判らない。領主の責任を問う声は、市民の間だけでなく商人や貴族、そして身内の中からも高まっていった。
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「父上はもうお休みになられたか?」
「はい。安らかなお顔でございました」
「そうか……」
先代領主の嫡男、いや、次代のヴァザーリ伯爵は、手にした杯を空けるでもなくただ眺めながら、言葉少なにそう答えた。
「爺……私は親不孝者なのだろうか?」
「若……いえ、伯爵様、お家のために泥を被る者を誹るような不忠者は、当家には一人もおりません」
若者は黙して答えない。
明日にはヴァザーリ伯爵病死の報告が出され、新しいヴァザーリ伯爵が誕生する。新領主のもとでヴァザーリは、奴隷売買とは縁のない普通の一交易都市として再出発する筈だ。前領主死去の報せは、動揺している市民たちを落ち着かせるのに少しは役立ってくれるだろう。
「やるべき事は山積みだな……」
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交易都市としてのヴァザーリの落日は確かなものとなったが、交易の量自体が減少したわけではない。当然、ヴァザーリに代わる受け皿が必要になる。ヴァザーリは三ヵ国の国境近くという立地から栄え、特に南隣の農業国テオドラムからは少なくない量の農作物がここに運び込まれていた。その農作物をどこに運び込むのか、ヴァザーリに代わって新たな交易都市となるのはどこなのか、既存の都市がその任に当たるのか、新たな交易都市を育てるのか。
各地方の領主や商人たちの間で、虚々実々の駆け引きが始まっていた。
新領主の方針変更は、ヴァザーリ市民やヤルタ教にも影響を及ぼします。




