第三百八章 マナステラ~クラブとペスコの人生双六~ 3.ロイル邸(その1)
日課の如く脱走を繰り返す「迷姫」リスベットを捕獲した功労者だとして、そのまま流れるようにロイル邸に連行……ではなく招待されたクラブとペスコであったが、とてもの事に心穏やかではいられなかった。
二人ともそれなりに場数を踏んで、肚の据わった冒険者である。そんじょそこらの貴族にビクつくほど、柔でもなければ初心でもない。
だが……今回ばかりは相手が悪かった。
何しろ、自分たちがつい先日に高値を吹っかけて売り払った――註.クラブとペスコ視点――「カタコンベ」のお宝。アレを押し付けた店の上得意・兼・後ろ盾が、他ならぬこのロイル家なのだ。売値はそれなりに高くはあったが、ぼったくったという覚えは無い。無いのだが……脛に傷持つ身としては、追及されると色々拙いのも事実である。殊にお宝の出所とか。
叶う事ならお嬢様を使用人に押し付けて、さっさとおさらばしたかったのであるが……どうも使用人からは〝脱走名人を捕獲した功労者〟と目されているようで、済し崩しにそのままロイル邸まで連行される羽目になった。気分は可哀相な仔牛である。もしも翼があったなら――と、この時ほど思った事は無い。
しかし事ここに至っては、役にも立たぬ後悔などで気力を磨り減らすのは無意味だろう。ここは当たり障り無く頭を下げて、然様・然らば・ご尤もと、適当に遣り過ごす一手に如くは無い。
どうせ止ん事無き方々は、下々の者にかける言葉などお持ちでない筈。適当に恐れ入った振りをしておけば、満足して直ぐに解放してくれるだろう。
そう踏んで、言葉少なに畏まった応答を心懸けていたクラブであったが……何を考えたのかこの貴族様、
「いやぁ、娘を見付けてくれて本当に助かった。まさか朝食前に抜け出すとはね。そのせいで君たちにも迷惑を掛けてしまったようで、申し訳ない」
……などと、貴族にあるまじきフレンドリーさで謝ってくる。
あまりにも想定外・常識外の対応に、クラブのメモリは疾っくにオーバーフローを起こしており、会話など脊髄が代行している始末であった。
「あの子も監視の盲点を衝いて脱走したのはいいが、朝食代を持って行くところまでは気が回らなかったみたいでね。空腹には苛まれるわ、然りとて家に戻るのは敗北を認めるようで気が進まないわで、途方に暮れていたようだ。それもあって、君たちに串焼きを強請るなんて真似に及んだらしい。本当に済まなかった」
「いえ……子供が腹を空かせるってのは良くねぇですし……」
「全くだ。我々もそう考えていたから、よもや朝食前に抜け出すなんて挙に出るとは思わず、後手に廻ってしまったんだがね。
「あの子に言ってくれたそうだね。〝懐が温かいから奢ってやるが、世人が皆道義的に振る舞うとは思うな〟――と。諫言、実にありがたい」
「いえ……」
ロイル卿にその気は無いようだが、話題がクラブとペスコの懐具合に接近しそうになる度に、然り気無く話題を他へ逸らそうと懸命のクラブ。気のせいか、胃の腑もキリキリと痛んできたようだ。
だが、そんな努力の甲斐あって、資金の出所を追及される事は無かったものの……
(……このお殿様、何でまたこんなに話し好きなんだ? 何か肚に一物抱えてんのか?)
湧いてくる疑念を打ち消す事のできないクラブであったが……当のロイル卿にそんな気は露ほども無い。
以前にも少し触れた事があるが、ロイル家は代々学者や芸術家のパトロンを以て自ら任じてきた家柄である。勢い、そういった者たちとの触れ合い・交流も密になるため、偉ぶった家風など醸成されよう筈も無い。と言うか、そんな気風は代を重ねるうちにいつしか雲散霧消していった。後に残るのは――少なくとも貴族以外を相手にした時には――フレンドリーな当主一族という事になる。
そんな一族の現当主たるロイル卿であるからして、クラブとペスコに対する態度に底意や下心は微塵も無い。これは飽くまで卿の、そしてロイル家一族の「地」なのであるが……そんな事情を知らぬクラブとペスコにしてみれば、落ち着かない事夥しい。
さっさとこの場を切り上げようと、(上の空が失礼にならぬ程度に)脊髄反射的な会話を続けていたのだが……これが裏目に出る事になる。




