第三百五章 湖の秘密~第二幕~ 11.クロウ~〝鳥頭のカール〟~(その2)
自分なりの理想と目的を抱いて、他人の迷惑にならぬよう慎ましく生きてきたその筈なのに、世間の敵だなどと難癖を付けられては、腹立ちの余り身震いが出るのを、誰が咎める事などできようか。
しかもこの男、碌に剣術の稽古も積んでいなかったと見えて、ブレブレの剣筋で段平――辛うじて「赤鰯」ではない――を振り回すものだから、狙いの泥田坊には擦りもしない。その代わりに、明後日の方向に盛大に空振りを繰り返すものだから、少し離れた場所で身を隠している精霊たちには却って危なっかしい。
それでも、〝下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる〟の喩えのとおり、闇雲矢鱈の滅多斬りに振り回していれば、そこは慈悲深い確率の為せる業で、いつかは紛れ当たりに恵まれる事もあるというもの。
素より防禦力など欠片も無い泥人形の事、あっさりと消し飛ぶのは自明の理。
まぁ、予想以上に時間がかかっていたのはともかく、小さく無害な「泥田坊」を段平振り回して叩き潰した――斬り飛ばしたのではないので間違えないように――のは、若者のお気に召したご様子で、
「やぁやぁ! 天も照覧あれ! 昨年来この地を騒がしてきた不埒の悪霊は、このカール・ルイ・オルトゥームが討ち取ったり!」
――と、鼻高々に勝ち名告りを上げた。
困惑しつつも遠巻きに見ていた村人も、去年見た「泥田坊」より大分小さいとは思いはしたが、一応間違いではないと認めざるを得なかった。
村人たちに自分の勇姿を見せ付けた事で満足したのか、カールと名告ったその若者は、そのままネジド村を立ち去った。
……収まらないのは残された精霊たちである。
無益な騒ぎを起こすまいと思えばこそ、村外れでひっそりと操演の練習に励んでいたというのに、矢庭に難癖を付けてきた馬鹿に斬りかかられた挙げ句の悪霊呼ばわりである。
それだけなら我慢のしようもあっただろうが、まだ見習いでしかない自分たちが辿々しく操る泥人形を壊したぐらいで、あの伝説的な「百鬼夜行」を討伐したような大風呂敷。夜郎自大もここに極まれりというものだ。
自分たちが侮られるだけならまだしも、あの「百鬼夜行」一座の名まで汚すような事になったのは無念千万。叶う事なら今この場にても返しの一太刀を浴びせたいところだが、この地で騒ぎを起こすのはきつく戒められている。
切歯扼腕の思いで勝ち誇る愚物を見送るしか無かった精霊たちは、来るべき雪辱の日のために、なお一層の修練に励む事を誓った。しかし、はてさてどこで稽古を積んだものか。
こんな事があった以上、このままネジド村で稽古を続けるのは拙いような気がする。人目に付かず、存分に操演の練習を続ける事ができる場所は……と悩んだ挙げ句、思い付いたのが「誘いの湖」であった。余人の立ち入りを拒むあの地なら、豊富な水や泥を操る修行に持って来いではないか。
精霊門を通ってあっさりと彼の地に移動した精霊たちは、そこで日夜操演の練習に励んでいたのだが……そこへひょっこり現れた不届きな侵入者。好き実験台御座んなれとばかりに、これを「水の怪魚」で脅かして撃退した。その後のおかしな顛末については、ここで贅言を重ねる必要も無いであろう。
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『〝鳥頭のカール〟(マリア命名)の事も気懸かりと言えば気懸かりだが……今気にするべきは湖への侵入者対策か』
「誘いの湖」はダンジョンではなく精霊門――兼・自然保護区――ではあるが、クロウの管轄下にある事ではダンジョンと変わらない。なので、単に侵入者を撃退するだけなら、その手立ては幾らでもあるのだが、
『あそこって、ダンジョンじゃない事になってるのよね?』
『あぁ、そうだ。なのでモンスターを派遣して排除するとか威嚇するとかの手は採れん』
『とは言え、現状では〝脅して撃退する〟のが最善手のように思えますが?』
『そうだな。……モンスターによらぬ威嚇の手段か……』
クロウをはじめとする一同の脳裏には、「百鬼夜行」の文字がちらついていた。




