第三百四章 特命調査員ラスコー、モルヴァニアへ 5.宿での思案【地図あり】
商業ギルドで一応の情報収集を済ませたラスコーは、一旦宿へ引き上げると、今後の方針について考えた。思った以上に事情が複雑かつ厄介なため、下手に動くと無駄足を踏む……くらいならまだいいとして、取り返しの付かないドジを踏みかねない。そんな事態は願い下げだ。
暫し沈思黙考を続けていたラスコーであったが、ややして顔を上げると、
「……取り敢えず、仮説の妥当性・信憑性については考えない事にしよう。検証は自分の仕事じゃない」
――と思い切り良く、或いは身も蓋も無く割り切る事にした。
所詮自分は市井の情報屋であり、受けた依頼はマーカスの現状調査である。調べるべきは〝仮説が信用に足るかどうか〟ではなく、〝仮説が信じられているかどうか〟である。この二つは似ていても厳として違う。
「ただ、市井の……と言うか平民たちの反応を探るだけじゃ、依頼人のお気に召すとも思えないのがな……」
それくらいなら何も態々、〝必要経費は依頼人持ち〟などという太っ腹な条件を付けてまで、自分を派遣する必要は無かった筈だ。
言い換えると自分に期待されているのは、単に平民の声を集めるだけではなく、寧ろ貴顕・富裕者階級の反応を探る事だろう。
更に言うならば、
「……マーカスという国の意向を左右し得るお偉方が、この『仮説』とやらをどう見ているのか。真に受けて、或いは真に受けた振りをして動く可能性が少しでもあるのかどうか……その辺りが知りたいんだろうな、本音では」
たかが一介の情報屋にそこまでのネタを探り出せるかどうか、これは大いに疑わしいが、その可能性が無くもないという感触程度なら、自分にも掴む事ができるだろう。
「……要は本職を投入するかどうかの下調べ――か」
だとしたら、あまり踏み込んで訊き出そうとするのは悪手だろう。然り気無い感じで訊き出したいところだが、
「……アムルファンの商人である自分が、遠路遙々マーカスへ足を伸ばしてるってだけで、〝然り気無く〟というのは無理があるな……」
つまり、自分がマーカスへやって来た尤もらしい理由を捻り出す必要がある。まぁ、自分の生業を知っていれば、単に〝依頼されたから〟と事実を述べるだけでも納得してもらえそうだが、今度は依頼人の意図が詮索の的になるのは必至である。
「まぁこれについては、そのうち良い知恵が出るのを期待するしか無いが……」
現状最優先で考えるべきは、マーカスの貴族と交渉するに当たっての対価だろう。
貴族相手に金をちらつかせるような真似は悪手だし、それに代わるような値打ち物を用意するのも難しい。となれば、自分に入手できる最上のもの――情報を対価として差し出すしか無い。
問題は……それに相応しい情報を用意できるか――というその一点にある。
調査の偏りを無くすためには、件の仮説を信じる者とそうでない者の双方から、聴き取りを済ませる必要がある。言い換えるなら、立場の違う双方に関心を持たれるような情報を入手しておく必要がある。
費やす労力を最低限に抑えるとなると、調査すべきは両者の関心の共通点。即ち、
「古代マーカス帝国……それが実在し得るかどうか――か?」
実在したかどうかなど水掛け論にしかならないだろうが、仮説として成立し得るか否かというだけなら、両者の興味を引けるだろう。もしもネガティヴな結論が出たとしても、相手によって話し方を変えればいいだけだ。
――では、どういう切り口でその謎に迫るか。
専門家の話を聞くというのは基本だとしても、質問の内容が漠然とし過ぎていては、相手だって返答に困るだろう。検証可能なポイントを絞らねばならない。
ちなみに、〝実際に古代マーカス帝国があったのか〟という質問については、ラスコーは早々に切り捨てていた。
もしも確たる答があるのなら、抑あんな仮説が物議を醸せる訳が無い。万人が納得する答が無いからこそ、「古代マーカス帝国」仮説なんてものが幅を利かせているのだろうから、これについては問い質すだけ無駄である。
まぁ、考古学的な知見などがあるかどうかは、基礎情報として一応確かめておく必要があるだろうが、本命としては別の方向を狙っておきたい。そうでなくては取引相手の関心を引けないだろう。
「まぁ、詳しい質問内容については、相談する中で詰めていく事になるだろうな」
――さてそうなると、次なる問題は「専門家」の調達……確保である。
王都モルファサンで然るべき機関を当たるのが常道だろうが、それだとかなりの遠廻りを強いられる。それに、何故そんな事を訊くのかと詮索されても面倒だ。
[モルヴァニア地図]
そうすると、現状で最も望ましいのは……
「……クートの町にいる先生か」




