第三百四章 特命調査員ラスコー、モルヴァニアへ 3.アラド商業ギルドにて(その3)
いっそサガンまで戻るべきかとの考えもちらついたが、その反面で、今の時点でそれをするのは勇み足ではないかという予感も拭えない。ならばせめて、
(雑多という「アバンドロップ」の実態だけでも、知っておいた方がいいか……)
この後はマーカス本国へ乗り込んで、海千山千の貴族相手に交渉する必要があるのだ。手持ちのカードは多いほど良い。尤も――
(アバンドロップの情報をマーカス貴族に渡すのは……今回は止めておいた方が良いだろうな)
不用意にそんな事をすれば、アラドが懸念している事態を徒に招く事になる。それはアラドの商業ギルドを虚仮にする事になるだろうし、マーカス貴族の馬鹿さ加減によっては、モルヴァニアという国にまで累が及ぶ可能性すら捨てきれない。一介の商人が責任を負える事態ではない。
とは言え、マーカス貴族にアバンドロップの事を訊かれた時、情報の一部を渡すにせよ惚けるにせよ、アバンドロップの実態を知らないでは話にならない。下手な出任せを吹いた挙げ句に事態を悪化させるような事があっては大惨事である。
そう判断したラスコーは、マーカスで起きている騒ぎについて、更なる情報を問い質したのだが……
「そう言われてもな……何しろこことマーカスじゃ、距離があり過ぎるからな」
「そう言われれば……そうか」
モルヴァニアの国土は稍細長くなっているが、マーカスとの国境はその東北端。対してアラドがあるのは南西端である。位置的には両極端と言ってもいいのだ。話が遠くなるのも当然である。
故にマーカスの騒ぎについても、モルヴァニアの北部はともかくとして、アラドには詳しい話は伝わっていない。
そう聞かされたラスコーは、〝だったらこの話は知っているか?〟と、レムダック家が決め手としている酒盃の作風についてのネタを開陳したのである。……そう、〝ノンヒュームの作風を取り入れた酒盃〟という、あのネタである。
既にイラストリアやマナステラの一部では囁かれているネタではあるが、それでもアラドにまでは届いていない。……これまで教えられた情報の対価としては充分であった。
しかし、アラドにすら届いていないネタを、アムルファン在住のラスコーがどうして耳にしていたのか。アラド商業ギルドの面々は内心で舌を巻いていたが……タネを明かせば何の事はない。今回の依頼に先だって、基礎知識という形でモルファン――の、情報部――から教えられていただけだ。更に言うならその情報自体は、マナステラ貴族のフェルナンドから聞いた話をアナスタシア王女が母国モルファンに伝えたのが元になっている。
機密情報の入手とかそういう華々しい話ではないのだが、それでもこういった話を耳打ちされるだけの伝手を築いているという点では、ラスコーの情報網は侮れないと言うべきであろう。
で……そんなこんなの遣り取りの結果、ラスコーは気になる話を耳にしていた。
「ドワーフの作風を模した酒盃を……売った?」
「あぁ。さっきの話と付き合わせると、少しばかり気になる話だろう?」
マーカスでお披露目された酒盃については、これまでに幾つか噂話のようなものを訊き込んでいる。
その一つが〝ノンヒュームの作風を取り入れたもの〟という話であり、今一つが〝他に類を見ない〟代物だという話であった。
後者については要するに、〝それ以前に市場に流れた品々とは全く似ていない〟という事を意味するのだろうが……だとすると、アラドの骨董屋が誰ぞに売ったという酒盃とは別物なのか?




