第三百三章 王女様のお望み 2.イラストリア王国 国王執務室(その1)
「あの王女サマ、んな厄介事を言い出したんですかい」
「まぁ、駄目で元々といった様子ではあったそうじゃが、な」
「駄目に決まってんでしょうが! ……ったく、当事国が静観を決め込んでる騒ぎを、隣国が掻き回してどうすんですかい」
「掻き回すという意識はご本人にも無かったようじゃな。単に調べるというだけで」
「イラストリアの名を冠した調査団とやらが出向いただけで、充分以上の火種になるでしょうがよ」
「マーベリック卿もその点を諭して、お引き取り願ったそうじゃがな」
イラストリア王国の国王執務室で盛大な憤懣をぶち上げているのは、王国軍第一大隊を率いるイシャライア・ローバー将軍。一朝事あれば国軍全体の総司令官を務める身である。
その憤懣の宥め役に廻っているのは、将軍の又従兄にして王国の宰相を務めるライル・ライオネル・カーライル卿。国王の信任厚い重臣である。
そして――二人の掛け合いの原因となっているのが、イラストリア王国王立講学院の学院長を務めるマーベリック卿が報告してきた内容。有り体に言えば、モルファン王女アナスタシアが提案した〝学院主宰によるマーカス視察団派遣案〟であった。
目下マーカスを席捲している、或いは席捲しつつある稀代の与太噺、即ち「古代マーカス帝国」仮説の事は、既にローバー将軍も耳にしている。それが他愛無い法螺噺だと目されている事も併せた上で。
「じゃがなイシャライア、その与太噺を真に受ける者が現れたら、況してそのような輩が増えたりしたらどうなるか。お主にも察しは付くじゃろうが」
「……クソ忌々しい『国土回復運動』ってやつですかい?」
「その懸念が僅かにでもあるとなれば、事前に何らかの手を打っておくのは為政者として当然……と言われてみれば、これは軽々に却下はできぬであろう?」
「それを見越した上での『調査団』って事ですかぃ。……あのお姫サマがそこまで?」
「さてな。言質は取らせておらぬようじゃが、そういった内容を匂わせてきた――と、マーベリック卿は報告しておる」
「予想外に喰えねぇお姫サマ……いや、喰わせ者ですな」
隣国の王女に対して大概に不敬な発言とも聞こえるが、〝喰わせ者〟というのが将軍なりの褒め言葉と知っている一同は、敢えてそこを突っ込むような真似はしない。そんな些事はさて措いて、
「それになイシャライア、儂らとしては他にも考えるべき点があるじゃろうが」
「……この件がⅩの企みかどうかですな」
将軍の発言が合図となったかのように、三人――ローバー将軍・宰相・国王――の視線がもう一人に注がれる。
「そこんとこどうよ、ウォーレン」
イラストリア王国重鎮の視線を一身に浴びたウォーレン卿――イラストリア王国軍第一大隊副官――は、態とらしい溜息を吐いてその問いに答える。
「少なくともこの件に関しては、Ⅹの関与は無いと考えられます」
「ほぅ? どうしてだ?」
面倒臭そうな表情を浮かべつつもキッパリと言い切ったその態度を見て、ローバー将軍が反問を投げかけるが、ウォーレン卿の答えは簡潔にして明瞭であった。
「これまでのⅩの方針は、対ヤルタ教・対テオドラムで一貫しています。今ここで、テオドラムの隣国にして潜在的な敵国であるマーカスに混乱をもたらしたところで、Ⅹにとって好都合な展開になるとは思えません」
「『国土回復運動』を煽って、〝侵略者テオドラム討つべし〟で民意を纏めようって肚なのかもしんねぇぜ?」
「その『国土回復運動』の向かう先がマーカスだとは限りません。我が国やマナステラにその矛先が向く可能性もある筈です。あの計算高いⅩが、そんなあやふやな想定で動くとは思えません。
「そして何よりもかによりも、今回の国土探索熱が計算によって引き起こされたものだとは思えません。況して、これが『国土回復運動』に繋がるかどうかも不明瞭です。このように不確定要素の多過ぎる、それこそ『策』とすら言えない代物を、あのⅩが企むとは思えません」




